亡くなった、年末に
亡くなった、なんて丁寧な言葉も使いたくなく、
死んだ、とだけ言いたい
枯れるように老衰で、たぶん苦しむことなく逝ったと思う
でも、正直、あんな人が何故、苦しまずに最期穏やかに死ねるのか?
がんで最期、とてつもない耐えがたい痛みに苛まれることもなく、自分の死について怯えることもなく
認知症っぽくなり、車でとんでもない自損事故(で済んでよかった、ほんとに)起こして怪我したらしいけど、それも大したことなく
何の徳も積んでいないと思うのに
一方で息子は、日々恵まれた環境のお陰で
穏やかに暮らしてはいるけれど、
でもやはり、綺麗ごとでなく、彼らの人生は修行の連続、過酷なものには違いないと思う
私なら耐えられないかもしれない
だから尊敬するし、そんな彼らが姑よりも少しでも苦しんで亡くなるようなことがあったら、そんなの絶対許さない
姑が危篤と聞いた時は、ああ死ぬのか、それで全部終わるのか、
と、今までの嫌なことも全て、
“生きていてこそ“と思えなくもなく、
許せる、までいかなくても、
もういいや、忘れよう、終わったんだ、
と思った瞬間もあったけど、
でもやっぱり、息子の尊厳とか、そういうことを一切認めなかったあの人を
死んだとしても許さない
葬式って本人の生き様みたいなのがわかるような構成になっているけれど、
確かによくわかったことは、
姑や舅は、本当に見栄っ張りで、人からどう見られるか、だけの人生で、
そりゃ孫が、身内が障害者なんて絶対認められなかったんだな、と思った
優秀だし、華やかな人間なので、そういう社会で生きてきたのはわかるけれど、まあ、そこがあなた方の限界なんですね、と
心の底から納得した
だから、私たちも罪悪感なく絶縁すればよかった
私の見識や考え方が間違っているのかと長年親不孝をずっと悩んでいたのは無駄だった
みっともないことかもしれないが、私は死んでもやっぱり許さないし、四十九日まで毎日そう姑に言い続けた
「ワタシハシンデモアナタヲユルサナイ」
四十九日の朝、私の枕元に姑は来た
私は法要には出なかった
四十九日も過ぎてあの世に行ったと思うので、
これで忘れることにする
新盆にも一周忌にも行かない
体に悪いから
私は一人で旦那も出なかった葬式に出たのだから
十分ではないかと思う