お詫びかたがたご説明

 

「芙美湖葬送」は小説です。20年前の妻の死がテーマになっています。でも事実ではありません。完全なフィクションでもありません。その中間です。だから一言一句にこだわらないでください。実はずっと前に書きあがっていました。一部はヤフーブログに掲載しました。しかしなくなりました。ヤフーにとってはただのデジタル信号にすぎません。でも書く側にとっては掛け替えのない道しるべです。記録です。私の場合は墓標でした。

 

再度書き始めました:こことノートに。実は東日本大震災の時にHDを破壊されました。修理不能です。でも別にDVDが残っていました。古いDVDで書き出し順序がバラバラです。それをもとに出版用原稿を整理中ですが、まだまだ時間が掛かります。ここでは(ノートでも)掲載順序はバラバラになっています。時にダブる可能性もあります。そこをご理解ください。よろしくお願いします。

 

ノートの場合は一回2500~3000字の小節単位です。料金が掛かります。100円です。ここではアメーバーでは無料です。ただ全部ではありません。小節の50~70%です。全部を通して読みたい場合はノーとをご覧ください。全編通しは単行本か電子本です。まだ作業中です。よろしくお願いします。

 

なお貧乏老人でいまだにガラ系しか使っておりません。だから拡散もできません。ラインも使っておりませんし何とかマークも使えません。何しろ年明け早々87歳の老人です。頑張っていますが限界があります。なにとぞ拡散の方はよろしくお願いします。

 

細々ですが頑張ります。よろしくお願いします。     夢亥卓也

 

 

 

 

 心静かに死なせたかった

 昨夜も、主治医とは、二回目の器官挿管をどうするかについて話し合った。肺炎菌や、緑膿菌の他に、さまざま細菌が肺を侵しているから、もう自己呼吸は出来ない。器官挿管して、人工的に酸素を送るしかない。今のコロナと同じ状況です。

 

 それも一週間が限度である。
 気管挿管で接触した部分に炎症が起きるから。一週間したら抜管して、新しいパイプと取り替えなければならない。その時にまた苦しむ。その苦しみを見ていられない、と私は思った。

 長女と私は、二回目の器官挿管は本人を苦しめるだけだからやりたくないといい、次女の琳子は助かることならどんなことでもして上げたいといった。しかしその助かる見込みは、と聞かれて医師は、仮に1%でも可能性があればやるのが医師の仕事です、といった。

 患者への答えにはなっていない。

 

 新しい器官挿管をすれば、少なくとも一週間は保つだろう。その間に炎症が治まれば、回復する可能性もある。もし炎症が治まらなければ三回目の交換をしなければならない。
 ことによったら気管切開もあり得る。

 

 気管切開したらどうなるか。もっと大型の人口呼吸器を取り付ける。今でいえばエクモだろう。会話は出来るのか。出来ない。食事も人工栄養に頼らざるを得ない。


 それでは生きた屍ではないか。
 しかしその段階ではそれしかない。

 

 そんな話が、患者家族と医師との間で続いていた。しかも結論は出ない。これ以上苦しませたくない、との思いは同じでも、じゃどう対応するかで行き詰まってしまう。
 話し合いがつかないまま、この件は、明朝もう一回話し合いましょう、と十時過ぎに主治医も帰った。

 

 その時点では、主治医は今朝の事態を想定して居なかっただろう。だから器官挿管の専門医を、大学病院からよんでいた。

 

 人間の聴覚は、最後の最後までまでしっかりしている。
 そんなことを臨死体験に関する本で読んだことがある。普通の何倍もの敏感さで、周囲の動きを感じ取っている。だからチベット僧は、死に逝く人の耳元で語りかける。お前の人生は素晴らしかった、悔いることはない。さみしいこともない。こころ静かに逝け。以下省略。

 


 

 

 

はじめに

 

改めて書き出しの部分から書きます。必ずしも順序通りになっているわけではありません。でも頭に編集番号が振ってあります。1から60くらいまで。原稿がダブることがあるかもしれません。これは出版用原稿として起こしていますので。不便不都合があると思いますがよろしくお願いします。

 

妻の死を小説化します。もう20年になります。墓標として残したいと考えました。高齢故(来年早々87歳)どこまで続くか分かりません。その分読み切りとして書いています。モトゲンは東日本大震災時に(HDはこわれたけどDVDに部分的に残ったメモ書き原稿です)。

 

小説「死ぬ準備」も並行しています、応援よろしくお願いします。1節の文字数は3000内外です。読み切りです。

 

 

 

 

 

 芙美湖(ふみこ)とは妻のハンドルネーム

 

明け方から急に気温が下がり始めた。霧が病院全体を覆い始めた。乳白色の霧が、汚れた病院の外壁を少しだけ白く塗り替えている。
 私が立っている最上階の病棟洗面所からは、普段は、付属看護学校棟が見えるのに、その朝は、何も見えなかった。


 かすかに建物の存在を感ずるだけである。

 昨夜はあれほどハッキリ見えた駐車場の車も霧の中に霞んでいる。その中の一台で、娘の琳子夫婦が仮眠を取っているだろう。昨夜九時頃、医師と長女と三人で今後の治療方法について話し合った。何の結論も出ないまま、長女は、子供の弁当があるからと帰った。子供のいない次女が残った。

 家に帰っても、却って心配で眠れないからと仮眠のために亭主と駐車場に戻った。その車で今眠っているだろう。その次女に、先ずは報せなければならない。母親の命が、いま、まさに終わろうとしている。


 そのことを、娘夫婦に報せなければならないのに、わたしは看護師の呼び出しを聞いた瞬間から脚が床に凍り付いたように、踏み出すことが出来なくなっていた。

 

 早かれ遅かれこの瞬間が来ることは分かっていた。それなりに心の準備はしてきた筈である。それが何故今なのか。洗面所に来る前に妻は、安らかな寝息を立てていた。久しぶりに落ち着いた呼吸である。だからその間、朝の洗面タイムで洗面所が混雑しないうちにと混洗面所に立ったのだ。

 

 何日もの看病でどす黒く浮腫んだ顔を見ているときに看護師からマイクで呼び出しが掛かった。看護師の声を聞いた瞬間、妻の急変を直感した。しかし、記憶する限り、個室に移され、面会謝絶の札がつけられてから、最も安定した呼吸だったはずだ。


 なのに、看護師からマイクで呼び出された。
 その声の感じから、のっぴきならぬ事態が進行していることは間違いなかった。 

 

 一瞬、来るべきものが来た、と思った。にも関わらず私には、緊迫した感情は湧かなかった。なにか他人事のような感覚すらある。
 なぜか脚は床に吸いついたように離れない。

 

 出来ていたはずの、心の準備とはいったい何だったのか。思えば妻が好きで、何回か行った湖畔の宿も、いつもこんな風に霧に包まれていた。
 そんな、今おきている事態とは、なんの関係もない遠い昔の光景を思い起こしていた。あの時も湖畔を渡る風が、霧をどんどん運んできた。


 山の緑も、宿の赤い屋根も、すべて白く包み込んでしまった。

 乳白色の霧が、現世の激しい色合い中和した。たぶん死とは闇ではなく、霧のような世界だろう。ふとそんなことを思った。

 

 白い霧は生々しい現実的な色合いを全て白に変えてしまう。その捕らえ所のない空間の何処かに、異相への扉が開いているに違いない。そこから入ってしまえば、人は永遠に現世には戻ってはこられない。

 

 死とはその先にある薄明の世界である。そんな白い別世界への扉が、あの霧の何処かにある。いまその入り口で、妻は立って私を振り返っているような気がする。先へ進むべきかどうか、戸惑っているようにも、現世への未練を断ち切ろうとしているかのようにも思える。

 

 妻が好んだ宿の裏も白く霞んでいた。そんな光景が妻には似つかわしい。そしていま、湖を好んで、自分の名前まで、芙美湖(フミコ)と読ませた妻も、今は年老いて、長い病の末から起きあがり、永遠の旅に出ようとしている。


 その旅立ちのために開かれて白い扉が、この白い壁の、何処にあるだろう。それはたぶん芙美湖の為に用意された扉だろう。
 湖が好きだった少女が、年老いて思い出深い湖に帰って行こうとしている。芙美湖という架空の湖も、彼女の死によって地球上から永遠に消えるだろう。
 そんなことを漠然と考えていた。
 
 その朝、芙美湖は、静かな寝息をたてていた。やっと峠を越した。あとはゆっくり回復するだろう。そんな私の期待を見事に裏切って、妻は私が洗面所に立ったわずかな隙を見計らって息を引き取った。


 その瞬間を見せたくなかったのだろう。 
 それが、せめてものの女の美学なら、それも致し方ない。

 その朝妻は、私が洗面所に立つのを見計らうように旅立った。混濁する意識の中で、彼女はその瞬間を待っていたに違いない。そして私がいないのを見計らって、息を引き取った。
 おそらくそれは彼女なりの美学だっただろう。


 仮に人生を共に歩んだ伴侶でも、その瞬間は見せたくない。そう思ったに違いない。そんな律儀な女だ。

 

 洗面所に立つまで芙美湖は間違いなく安らかな寝息を立てていた。それまで吸痰の度に見せた、のけぞるような苦悶の姿ではなかった。大げさな言い方をすれば赤子のように微笑んでいた。だから安心して今の内に歯を磨いておこうと洗面所に立ったのだ。

 安らかな寝息は、私を洗面所に立たせるための、芙美湖の計略だったのだろうか。もちろんすでに彼女の意識は混濁していたから、そんなことが出来るわけがない。しかしあまりにも符丁が合いすぎる。

 

 死を悟った動物が、自分の死の瞬間を隠すように、彼女もその瞬間を隠したかったのだろうか。たぶんそれは、死へ旅立つ生き物の矜持というべきものであったろう。
 そんな時間の止まったような状態がどのくらいあったのか。我に返って病室に戻っときには、すでに当直の若い医師が心臓マッサージを始めていた。


 医師の腕がぐっと妻の心臓を押した。ステロイドの長期服用で骨粗鬆症にもなっている。寝返りを打っただけでも肋骨骨折をしたこともある。
 男の力であんなに強く押して大丈夫なのだろうか。若い医師が、心臓の辺りを押した瞬間だけ、ささと心電図計の画面が揺れる。手をゆるめるとまた元の横一線に戻った。
 そんなことが何回も繰り返された。

 

 それは事務的に、無感動にやっているようにも、祈祷師の祈りのようにも思えた。これは単に儀礼的な動作なのか。医師には何もかも分かっている。医師も看護婦も次の行動を待っている。そんな風に思える。

 そうだ。私は急いで廊下に出て、病院駐車場に停めた車で仮眠している次女の琳子に連絡をいれた。琳子は駆け上がってくるなり、看護師を突き飛ばすように芙美湖の身体にしがみついた。
 なにか大声で叫んだが、私には聞き取れなかった。

 前日までは、芙美湖の意識はあった。朦朧とはしていたが、私に問いかけに、何回かに一回の割合で頷いた。意識が混濁しているせいか首を振ることもあった。
 しっかりするんだよ、との私の声にも頷いた。
 
 私が仮眠のために席を外したときも、代わりに付き添っている次女の琳子に、パパは?パパは?とうわごとのように聞いた。
「何日も寝てないから、ちょっと休んでるの。「あたしがついてるから、心配しないで」という琳子に、芙美湖はうなずいた。
「パパはもうじき戻るから」
「・・・」
「パパはもうじき戻るから」  

 

つづく   

 

一部写真ネットから共有させてもらいました。ありがとうございました。

              

 

 

 この続きはクリエータープラットホーム・ノートでも読めます。100円です。

時期は不明ですが出版も考えています。よろしくお願いします。 夢亥卓也

 

 

 

ここ5ヶ月くらいやる気が起きなかった。だからyoutubeも休んできた。いまも特別に元気ばりばりな訳じゃない。こんなこと書いてナニなるんかな。若者は必死に状況に耐えている。金もほしい。思いを発散したい。身体の中で凶暴な嵐が吹き荒れる。男の場合は特に。時に抑えようがない時がある。

 

つい抱き付いてしまったりして、警察に連れて行かれる。だれだってそんな瞬間がある。それが生きるということだ。オスの宿命だ。でも文明社会ではすぐ犯罪者にされる。累犯があれば容赦なく立件である。社会的には抹殺される。

 

親や友人からも白い目で見られる。因果応報だ。しかたない。自己嫌悪に陥る。そしてダメになる。

 

じつはこれがネット隆盛の種である。86歳の爺さんには分かる。だから特攻に飛び立てた。紅衛兵はインチキ学者を吊し上げた。騙されているのも知らずに。戦車の前に立ちはだかって轢き殺された北京の青年も同じだ。

 

鄧小平はうまく若者のエネルギーを利用した。今上海や深圳が熱気あふれてるのはそのオツリである。

 

でも私も86歳になった。直感的に時代陥没が予想される。「こけおどし」じゃないが、若者へ、自分を大事にしろよ。状況は変わるときは変る。自ら貶めるな、と話したい。

 

賢明な若者は身を潜めて風が通りすぎるのを待つだろう。やんちゃな若者は風に逆らおうとする。過激な若者は風に立ち向かう。そんな時代が近づいている。

 

だから先輩ぶって、ぼそぼそと、なんか語っておこう。たいした役にはたたないが。分かっている。でも気休めにはなる。かも。

 

そんな気もちでまた文章も喋りもはじめることにした。

よかったらたまには来てね。みてね。
腹の足しにはならんけど。時間つぶしにはなる。

 

以上、ぼちぼち再開の弁でした。

 

 

 

 

 

 

 老いた妹から連絡がない。いやな予感がする。

 しばらくして、もう一人の、二歳若い別な妹から電話があった。

 

 ああ、よかった、何回も電話したわよ。姉さん入院してるし。今度は兄さんかと思ったわ。お互い老人だから仕方ないけど。兄さんまだ自転車のってるの?もう八十六歳だよ。

 

 やめてよ。

 

 そうだね。・・・やっぱり入院してたか。電話がないわけだ。

 

 先回の入院は、ベッド転落で骨折した。今度は胃腸障害?それともコロナ?

 

 分からない。でも高熱も出たみたい。ヤばいと思って自分で救急電話した。運よく収容された。独居老人だから? 今の日本はもう戦場ね。いつやられるか分からない。

 

 その時は十日入院した。ギブスが取れ精密検査をしてやっと帰宅が許された。

 ヘルパーさんが迎えに来た。

 

 玄関で、いつも来る猫は迎えに来なかった。探したらベッドで冷たくなっていた。

 ヘルパーさんに頼んであったから、餌と水はある。いっぱい残っていた。

 孤独感から死んだのだろう。おなじ老類である。

 

 犬だって猫だって一人は寂しい。帰るまで生きてほしかった。餌は食っている。水も飲んでいる。ベッドも毛布を何重にもしてあるから温かいはずだ。無いのは飼い主の息遣いだけである。生き物には愛情が必要なのだ。

 

 捨てられたと勘違いしたのか。有料の一時犬猫預かり所に預かってもらったこともある。でもその猫は妹似で、誇り高く、おまけに自分を人間だと勘違いしているから、他所猫の猫臭が嫌いなのだ。

 

 人間を好きになりすぎた不幸である。

 

 そんなこともあって今回は自宅に置いてきた。餌と水はヘルパーさんに頼んだ。便所もきれいにしてある。でも孤独に耐えられるのか。

 

 待ちきれなかったのか猫は死んでいた。その夜、妹は何時間も泣いた。死んだ猫を抱いて泣いた。骨折した左腕が痛くなって、やっと私を思い出して電話よこした。そのことを私は思い出していた。

 100歳で死んだお婆ちゃんの時もそうだ。

 

 もう、へいき、と後日妹は笑った。

 

 そうか。 

 私は、23歳で死んだ親友トモと彼女のことを思い出していた。彼女も、同じようなこといっていた。清瀬の療養所で、一晩中トモの死骸を抱いて泣いた。

 怖くないよ。むしろ、朝になって火葬場に持って行かれるのが辛かった。

 

 彼女は新橋寄り銀座のもとダンサーだった。美人だが貧しかった。病弱な母親を養っていた。なんであんな貧乏学生に惚れたのか。生きていれば私とおなじ86歳になる。トモは若くして死んだから23歳のままだ。

 

 一方私は86歳まで生きた。もう少し生きるだろう。でも、生きるって辛いことなのだ。

 思い出してもトモの顔はつやつしている。私は皺と白髪である。

 

  しかたないね。

 下の妹が洟をすすりなが電話先で呟いた。どうぞ今回も無事退院できますように。コロナなんかに罹っていませんよう。前回、猫は去った。今回はまだヘルパーさんが面倒みている。でも人見知りの強い猫だ。食事はしっかりとっているだろうか

 

 老いた生き物が二種頑張っている。ひょっとして地球を去る日が来るかもしれない。切ない話だ。多くの地球上生き物の数が少なくなった。種自体が老いたのだ。すでに絶滅した種もいる。この星自体老いている。

 

 地球よ、無茶するな。もっとゆっくり回れ。人間も、ゆっくり動いた方がいい。

5Gも6Gも要らない。科学の進歩もいい。進歩は生き物を不幸にする。

 

 みなゆるゆる歩け。強くなくていい。長生きしろ。猫も妹も死ぬな。

 

 

 

先に書いたのは、どこへ行ったのかな。

 

すっかり変わった、

 

困った。

 

86歳老人、夢亥卓也迷子中!

 

 

私は86歳の老人。今回の森発言に関して、

 

どこが女性蔑視なのか?

 

・・・分からない。

 

それでyoutubeに動画を挙げた。

 

反響がない。これほど炎上してるのに。

 

ラグビー協会女性理事もいっている。性、人種、年齢を問わず、誰でも自由に発言すべきだ。

 

でも届かない。コントロールされているのか?

 

言論は自由なはずなのに!

 

単語による情報操作かな?

 

さまざまな検索を掛けても出ない?

 

夢亥卓也でも? 夢亥人生想庫でも?

 

やはり操作されているのかな? 怖いな?

 

良かったら見てください。

 

 

 

 

86歳になりました。まだまだ、頑張って生きる。

三蜜励行

 

昨年の正月なんか、ま、春になればコロナも収まるだろうから、動物園にでも行きたいなあ。大好きなゴリラちゃんにあいたい。

 

チンパンジーもいいなあ。なんて思っていたけど、一向に収まらない。

 

コロナ早く終れ!

 

今年も今日で終わり。良いことありましたか。

 

私はありました。一個歳が増えました。今度は満86歳。

金も少しふえました。じゃっどん、まだ足りもはん。20年前に会社を休ませた時の借金身内分が残っています。金融機関はぜんぶおわり。先日も住友銀行から全部終わりましたよ、・・・だって。

 

結局残るのはみうち。それを返してから死にたい。

今年はいろいろ勉強しました。分かりましたよ。

 

欲を釣る餌は欲だけ。

 

日本は間違いなく滅びます。

オリンピックも不参加多数で再度延期?中止?

 

でも、しっかり生き延びる。これが昭和。

 

 

よい年をお迎えください

 

 

 

がんもどきじゃありません。

短歌もどきです。

 

看病・介護の傍ら、看病日誌的に手帳に書きました。

 

短歌の素養は全くありません。

自己流です。

 

年号は平成です。

亡くなる年の4日ヵ月前です。 

 

 

短歌もどき・看護日誌

 

わが妻の振る舞いに幼きしぐさ増え脳梗塞の後遺案じる 14.7.10

 

何ゆえか幼く見えること多く妻の変貌不憫に思う 14.7.11

 

久しぶり髪を短く刈り揃え妻まぶしげに我を見あげる 14.7.12

 

最近は寝ていることの多くあり声掛けずして食事だけ置く 14.7.13