アシタカは素晴らしいが孤独 | 萌え(м・ω・ё)萌え

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「もののけ姫」という作品は、それぞれの人生を描きながらも、やはりアシタカという一人の人間を強く描いた作品だ。

常に強く、逞しく生き、自分の信念を貫いて生きる素晴らしい人間だ。

しかし、アシタカは神ではなく一人の人間。

 

やはりどこかに頼らなくては生きてはいけないし、いつまでも自分を犠牲にし続けることが正しさとも限らない。

行いは素晴らしくても、誰にも力を借りないその生き方が、かえって誰かを傷つけることがないとも限らない。

自分の目で見て、曇りなき眼で見定め、自分で考え、自分で行動する。

それだけで本当にいいのだろうか?

誰かにもらった愛を、他の誰かにまた分け与える。

それができる人間ほど素晴らしい存在はいない。

だが、それはどこまでも孤独な人生を歩むことを意味している。

 

見方によっては、アシタカは迷走し、着地点が見えない状態だともいえる。

アシタカとサンのその後の真相は?

結局のところ、アシタカとサンはどうなったのか?

結論から言えば、その答えはない。

宮崎監督は、「アシタカはその後~だっただろう」というコメントもしている。

だが、それは宮崎監督の見るその後のストーリーだ。

私は、アシタカはサンには会いにはいかず、自分の信念に従って生き、同じ運命ならばいつかどかで出会う。

そうした流れ、運命に身を委ねて生きていくと思う。

そして、その後どうなるのかはアシタカにサンにも宮崎監督にも誰にもわからない。

これが私の思うその後というものだ。

だが、これも私個人の感じることなので正解ではない。

宮崎監督は自分なりのその後をイメージしている。

だったらなぜそれを描かなかったのか?

そこに本当の意味が隠されている。

描かないことによって、見る人それぞれの未来が思い描かれるためだ。

また、見るタイミング、経験してきたこと、自分の置かれている状況によって、ストーリーや結末、その後まで変わってくる。

そのためにその後は描かないのだと私は思っている。

答えを知りたくなる気持ちもわかりますが、答えなんてものはない。

アシタカとサンがその後どうなったのかは、今と数年後では変わるはずだ。

 

「もののけ姫」という作品を見て、あなたは何を感じただろうか?

そして、アシタカとサンはその後どうなったと思うだろうか?

あなたなりの物語が見えたら、それがあなたにとっての「もののけ姫」のセカンドストーリーなのだ。