先日、「大日本人」を見ましてね、ちょっと興味はあったんですよ「さや侍」。


「大日本人」は、正直どうかなと思ったんですが、松本作品もこれで三作目。


映画監督として成長してるかもしれないですからね。


「さや侍」について分かっているのは、主演にシロウトのおっさんを起用したということ。


テレビCMから、このおっさんは罪人としてとらえられ、何かの事情で若君を30日以内に笑わせなければいけないこと。


んで、刀のさやだけを大事に持っているということ。


おっさんには幼い娘(?)がいること。


このくらいの知識です。


以下、ネタバレありますんでね、見たくない人は見ないでくださいね。


感想は一言です。



































ヒドイなこれwwwwwwww



見方によっては「大日本人」よりもヒドいんじゃないかコレ?


「大日本人」は、コントが主題で物語は置いてけぼりでした。


「さや侍」は、どっちかというと物語がメインでした。


ですけどねぇぇぇぇ。。。


物語は正直、「吉本新喜劇」レベルですよ、って言ったら新喜劇に失礼かも。


物語として成立してないです。




ざっとストーリーを説明しますと、


侍の「野見勘十郎」は、脱藩の罪でお尋ね者になっています。


野見には懸賞がかけられてるようで、3人の刺客に命を狙われます。


あるときは背中をばっさり切りつけられ、ある時は後頭部を銃で撃ち抜かれ、あるときは首をへし折られ・・・


映像的にはどれも致命傷ですが、なぜか野見は普通に生きてます。


刺客に襲われる度に一目散に逃げ出して、その後を娘が一生懸命追いかける、そんな放浪生活をしているようです。


が、宿をとったある神社(?)で野見は藩の役人にとっつかまってしまいます。


放浪の罪で捕まった野見は、お白州で「30日の業」を言いつけられるのでした。



マドハンドAのもうひとつの土曜日


30日の業とは、母親(御台所)を亡くしたショックでふさぎこんでしまった若君を30日以内に笑わせることです。


若君を笑わせられれば無罪放免、できなければ切腹(死罪)。


役人の情けで、父親と同じ牢に幽閉された娘「たえ」は、野見に武士らしく腹を切るように言いますが、野見にはその気はないようで、「30日の業」を行うのでした。



マドハンドAのもうひとつの土曜日


果たして野見は若君を笑わせることができるのか?




と言う感じですが、まあヒドいwww


お白州の場になせか殿様と若君がいたり、罪人の野見の幽閉がゆるゆるだったり。


これはこの映画が本気で時代考証をしてる時代劇じゃなく、コントなんですよ~ってことを説明してるのかもしれません。


なんたって、登場人物が舞台背景を説明しだしますからね。


「野見は捕まって30日の業だってよ。30日の業って言うのは・・・」


そういうのは、物語の中で自然に明らかにさせていかな。


思い切り説明しちゃってます。


だいたい、「30日の業」のネタを考えるのはほとんど見張り役の役人、倉之助(板尾創路)と平吉(柄本時生)、娘のたえ(熊田聖亜)の3人で、野見はほぼ何も考えません。


3人が考えたネタをひたすらこなすだけです。


素人のおっさんがわけも分からずネタをやるのが面白いということなんでしょうが、、、笑えるかコレ?


野見がやってるのはほとんどサブい一発ネタか、大がかりな舞台装置をつかった大道芸です。


それを、観客が盛り上がったりすることで、「ああ、これはちょっと手ごたえがあったんだな」と知らされますが、自分はこのおっさんで全く笑えませんでした。


というのもね、ネタが面白くないと言うのが第一なんですが、それ以前にこの映画は、


『ダメ侍の野見が、周囲の手助けや応援を得ながら30日の業に一生懸命取り組むことによって、親子の絆を深めて行く』


って主題があるわけですよ。


すべり芸人にサブい芸をやらせて逆に面白く見せるって手法は分かりますよ。


でも、背後には人情的主題があるから、笑いというより「野見ガンバレ」な感じになっちゃうわけですよ。


コントで笑わせたいのか人情劇で感動させたいのか、趣旨が思いっきりブレちゃってます。


さらに、ストーリー展開はものすごいご都合主義。


野見が町人の支持を受けて行く様子、殿様に気に入られて温情を得る様子、そこらは物語のキモなはずですが、ものすごい不自然です。


展開が強引、言いかえれば下手。


吉本新喜劇ってそんな感じじゃないですか?でも新喜劇はそれが様式美になってますから、展開が強引でも安っぽくても許してもらえます。


でも、「さや侍」は吉本新喜劇じゃないですからね。


「30日の業」の最終日前夜にいきなり、「若君が好きな物は風車」だということが判明するとか。


それで、「こりゃもらったな!」という雰囲気が生まれるんですが、ラストに緊張感を盛り上げるため、ラスト前にちょっと緩めようとした意図がバレバレです。


風車で若君が笑うんなら、そんなことは藩の内部の人間がとっくにやってるでしょう。


最終日の風車も、風車がデカすぎて回らないとか。。。


んで、いきなり都合良く突風が吹いて、風車が回るとか。。。


突風が強すぎて風車が倒れてしまい、それを娘のたえが体を張って支えることで感動させようとか。。。


たえが、若君のところに忍び込むのも全然意味がない。


とにかく下手すぎるだろ、展開が。





30日の業は結局失敗しますが、野見はなぜか殿様に気に入られ、命が助かるように仕向けられます。


でも、それを拒否して、周囲の思惑を裏切っていきなり腹を切る野見。


これはよかったと思うんですよ、予想を裏切る展開でした。


最後に娘に「父の威厳」を示してお涙頂戴にしようとしたんですかね?


それはそれでいいんですけど、それじゃ娘のたえはどうなるの?


母を亡くし、父も亡くす、、、コントをまじえた喜劇っぽく進めてきたのにバッドエンディング?


だいたい、野見はなーんもしてないですからね。


他人が考え準備してくれたネタをやっただけ。


それで最後に死を選んでも、そこに威厳は生まれないでしょう。


野見に感情移入できないんですよ。


にも関わらず、映画的な雰囲気で野見に感情移入させようという姑息な手段。


野見が刀を捨てても「さや」だけを大事に持ってたという話も全然説明されません。


奥さんが死んだショックで刀は自分で捨てたんでしょ?


自分で捨てといて、武士の心を捨て切れなかったからさやだけ持っていたってなんか変でしょ?


刀は誰かに取られたけど買い戻す金がないからさやだけ持ってたとか、サビサビボロボロの刀を持ち歩いてたとかなら分かります。


「さや」だけ持ってたという野見の心情に、ちゃんとした説明がないんですよ。


映画のタイトルにしては「さや」の存在感が弱すぎる。




エンディングもグダグダですよ。


最後は不死身らしく復活したってことなんですかね?


「首が~~~~戻った」


ってネタで説明してるんですかね?


不死身だから復活したってんならそれでも良いんですが、じゃ娘への遺書は何?


なんで最後に無駄に感動させようとしたのか。。。


通りがかりの僧侶に託した遺書が、だんだん歌になるってネタは面白かったです。


でも、若君が墓参りに来て、笑いながら墓の周りをはしゃぎまわって終了とか・・・映画としてイカンだろ。。。


野見の墓が現代まで残っているってのもギャグなんですかね?


分かりにくい。


まあ、とにかくヒドかったです。


「大日本人」が、コント9割・物語1割くらいの内容でしたが、「さや侍」はコント3割・物語7割くらいのバランスでした。


ストーリーがあっただけに「大日本人」よりは映画っぽかったですが、肝心のストーリーが学芸会レベル。


映画を3本撮ってこのレベルなら、もう松本人志は映画を撮らない方がいいです。


映画を作る才能が全くないと思います。


やるなら、三谷幸喜あたりに脚本を書いてもらって、そこに松本ギャグを盛り込むという形にした方がいいんじゃないですかね?


もしね、この映画をベタ褒めしている映画評論家がいたら、その評論家はもう信用しなくていいです。


一般視聴者レベルで良かった部分を褒めるなら良いと思うんですよ。


しかし、評論家が真面目に映画を評論してこの映画を褒めるなら、それはもう評論家とは言えないでしょう。


それか、


「大人の世界って大変なんだな」


って思ってあげてください。


子役の熊田聖亜は良い演技してました。


その部分を評価して「さや侍」、自分の採点は10点満点で『2点』でした。