稲増龍夫氏の著書に『アイドル工学』がある。
稲増氏はアイドルの虚構性に焦点をあて、
アイドルを享受する人々(受け手)は「虚構を虚構のものとして楽しむ」という。
実に読んでいて納得できるし、興味深い内容だ。

遡ること09年5月のある日を境に、
私はいわゆる「ヲタク」になってしまった。
現在、躍進を続けるアイドルグループ、AKB48にはまってしまった。
そもそもアイドルなんて全く興味もなく、むしろヲタクたちを鼻で笑っていた。
そんな自分が気づいたらみるみるうちにヲタクになり、
いつの間にか「ヲタク」というレッテルを貼られていることに誇りさえ感じるようになった。

なぜ?

そんな疑問の答えを求めて、稲増氏の『アイドル工学』を手に取った。
確かに、私の求める「なぜ?」の答えが語られていた(かも知れない)。

しかし、稲増氏の『アイドル工学』を読んで、私なりに語れるところもあると思った。

それが「信仰」。

日本の社会には宗教的規則が存在しない。(少なくとも影響は少ない。)
そんな中で、私たちは「自分よりすごい人」あるいは「自分にはないものを持っている人」、
「自分にはできないことができる人」たちのことを、

「神」

という。

私が思うに、日本社会においては宗教性が希薄なことから、私たちは個々に信仰の対象となる神(の代わり)を創造し、崇めることで自らの充足感を得ようとするのではないだろうか。

それが、そのまま日本独自といえる「アイドル」産業を成立させているように思うのだ。

すなわち、稲増氏がいう「虚構を虚構のものとして楽しむ」という受け手のスタンスは、
私が考えるに、「虚構を信仰することで充足感を得る」ということ。

その根拠となるのが、いわゆる「ヲタ芸」と呼ばれるもの。
例えば、PPPHやケチャ、ロマンスなどの行動は、ある対象に向けて全員が同じ行動/発声をとることでその空間における共同体意識を高め合う。これは、宗教儀式にそのまま見られる現象だ。

つまり、この仮定から考えるに、日本のアイドル産業を海外へ輸出するのは少し難しいように思う。
海外の人々から見たら、日本のアイドル産業(あるいは文化)はかなり奇異なものに見えるだろう。

秋元康P率いるAKB48は海外進出、世界展開をめざし、フォーマット販売戦略を打ち出しているが、少し難しい印象だ。
秋元氏いわく「納豆をそのまま納豆として世界に送り出して受け入れてもらう」
・・・という、秋元氏らしいユーモア溢れるたとえで語っていたが、果たして「納豆」は世界に受け入れてもらえるのだろうか。

このフォーマット販売は、少し縛りがきついような印象だ。私が思うに、納豆を納豆として海外のモノ好きな人に届けるという点では成功すると思うが、海外市場にそのまま納豆を流通させようと思ったら話は全く別もの。
やはり同じ納豆でも、たとえば地域の好み、あるいは文化に合わせて柔軟に改良できるだけの許容範囲が必要ではないだろうか。それか、もはや現地生産は諦めて、日本に輸入して育てた納豆を再び輸出して受け入れてもらうしかない。

「流行は流行になった時点で終わっている。」

という社会学者のジンメルの言葉がある。
継続、発展、拡大させるのがいかに難しいか。
仮にブームが去ってしまい、ある程度の規模まで縮小しても、ちゃんとした少数の固定ファンがいる方がビジネスとしては安定している。
そういう意味では、劇場公演ができるAKB48のビジネスは画期的だ。
ミーハーはいなくなっても、確固たる固定ファンは逃さない。
しかし、現在のAKB48は拡大し過ぎたことで様々な問題が生じている。そもそも小さな組織で運営してきたためか、うなぎ昇りのブームに対応しきれない状況に陥っている。
ポストモダン社会に見事に適合したビジネスをAKB48は展開しているが、私は機能的な視点から「今がピーク」とも捉えている。
今後はAKB48の成功をもとに新たなアイドルビジネスが誕生するに違いない。

そんな「明日のアイドル」を少し考えてみたい。