久しぶりにこうして文章を紡ぎだそうとしている

 

 

もう何年も文章と向き合っていない

 

 

自分がどんな内容を描いていたかも今ではもう定かではなくなってきている

 

 

この忘却の途中一途は一体なにで例えられるのだろうか

 

 

あのなにもなかったが決定的なことがあった日から僕は一体なにを変え何を変えなかったというのか

 

 

 

こうして今もまだ自分の中心からブレさせる行為を常に繰り返して苦虫を噛むような笑顔の表情を思い浮かべている

 

 

判然としない漫然としている

 

 

なにもしたい なにかしたくない

 

 

僕のどこか物語を飛躍する力は実際のところ何の役にも立たなかった(今のところ)

 

 

そして誰の目にも遂に届くことはなかった

 

 

それは自分自信での忘却よりも根強い力はない

 

 

ここ数年間そして数十年信じていたものは一体なんだったのか

 

 

それは誰かになにか影響を与えてしまっただろうか

 

 

そんな大それたことをおもうなんて

 

 

 

僕はもう限界寸前だオンザヴァージ

 

 

 

遂に誰かを導き出してしまうかもしれない

 

 

 

 

 

 

1972僕が知り得るにこんなに4つの数字に意味を持たせ得た年を僕はしらない

 

 

そこには虚構しかなくないものは無慈悲な記憶だけだ

 

 

 

ということはしるわけがない

 

 

 

ある日それは夜の2時を過ぎた時だったアスファルトはなにも音を立てないかのようにそこにいた

 

 

その隣で僕は確かに息をしていて愛を感じながら孤独を感じていた

 

 

 

目は冴えたような気分でなにも確証がない間のようなものをいやというほど見て生きた後だった。

 

 

明滅するものは既に意味を持たせなくして

 

 

 

心にあるものは確かな愛と孤独だった

 

 

 

自分の心が無意識な愛を与え続けらるだけで

自ずから掴む必要のある

愛を全く掴めず餓死して生きている

 

 

 

あの時の君この文章を見ている唇に痣のある君

 

 

僕は君のことが好きだったかもしれない

 

 

 

今でも思い出すのは僕の思いだけだ

 

 

 

もう苦しみはいらない快楽は飽きた

 

 

 

この先になにがあるのか

 

 

 

答えが出ず生きているのはため息だけのぉおゔぉみっと

 

 

 

 

そんな虜に荊の花冠で大脳を3巻してその棘で流れ出る体液は自分のものかと見紛いながら口では熱く紅いスープをすすりながら嘘を垂れ流しため息を耳に注ぎ鼻から漏れ恋が下半身を塞ぎ愛が内臓を臓物に変える。

 

 

 

 

そしてやはり僕はまた丘の上のコテージに来ている

 

 

 

 

穏やかな光は事物を優しく白色に変える

 

 

 

 

部屋からは濃すぎない緑のひろがる丘の地平線が見え

 

 

 

それを少し制限する窓枠には白いレースのカーテンが少しだけ揺れる

 

 

 

節のある観葉植物は生きているようにそこにいてくれる

 

 

 

そして手元の木の机には開かれ本が1冊ある

 

 

 

 

何年たっても僕はまたここに来てしまうのだ。

 

 

 

この狂気の果てのような丘にコテージに

 

 

 
















  誰も本当の僕を知らない、誰も本当の僕を見ていない




  今まで付き合ってきた人でさえそうだ、まして自分も本当の僕を知らない




  本当に笑った時はどんな顔してるだろう




  朝起きるのがつらい、




  気持ちよく運動した次の日でも




  いいことがあった次の日でも



  清々しい陽の光で目覚めても




  生きていても楽しいことはあるのだろうか




  やっぱり僕は僕のことが嫌いで




  そんな僕を好きになってくれる人は




  僕の好きじゃないところを好きになって欲しくないなんて願うのか



  ああ僕が話したことがある人、僕は君のことを愛していたし愛していなくもあった




  君の未来を切望して絶望したり、君の過去を希望して気が狂いそうになったり。




  僕は相も変わらず子供でこんなことを続けている。こんなことを繰り返し続けるのだろうか。




  愛したり恋したり人に死なれたり誰かを傷つけたりなんて習ってこなかったんだ。





  愛が自然と口から出たり仕草に表れる、いや現れる人は



  
  人間としての機能として生得的に正しい人間なのか




  僕はやっぱり自己観念に照らし合わせても正しくない人間だ。





  本当の愛に、本当の人間に出逢えばこんなことは露と霧消するんだ




  手足が痙攣するほど笑わなくてもはにかんだ仕草で。





  
  









































































君のことを好きだと言ったらどうなるだろう






どうなるんだろう




君はどう考えるんだろう。




落ち込んだり、傷ついたり、悩んだりしてしまうだろうか。




僕はどうなるだろうか。




よく分からない。初めての事なんだ。




君はどうなるだろうか、そう思うと何もできなくなる。




こういう時に想像力のない人間に憧れる。




(卒業式の日に思いを告げる人間



自分だけの卒業式としか思えないような人間に。)




君の良き人はどうなるのだろう。




君と良き人はどうなるのだろう。




わからない、そこに君の優しさを思うから悩む事だろうか。





僕はこうして感情を大きく揺さぶられる度に





こうして文章にして落ち着いている。





これもどういう事なのだろう。






君と良き人のものを





僕と過去が受け入れたり切りさったりする行為は




優しさだろうか冷たさだろうか。




こういう事を繰り返してきたこれまでの人々は



僕はとても冷たい人間だと思う。





でもきっと優しさや冷たさを考えなかったり、




すぐに忘れ去ったり、




そこに倫理や想像を付与させない人間こそ





生き易い世界なんだと思う。





君は僕と良き人どちらを選ぶのだろう




でもそれは強く良き人だろう。結局。





今あるものを継続する生き物だからだ。





どちらがいいか比べても、良さを認めても





今の幸せを選び世界を崩さない。




それは僕の認める君の好きなところなのだろうか




君の冷たさだろうか、優しさだろうか。





そんな優しさや冷たさを持ち出させてしまうなんて





僕はなんて冷たい人間なんだろう。





そうだ。そんな僕の魅力はどこにもない。





様相も才能も考え方も地位も年齢も仕事も





僕の何を好きになるというのだろう。





君を幸せにできるのだろうか。





良き人を比べても比べなくても。





僕はそんな果てに幸せになれるのだろうか。





(僕に幸せがあるのならば)





君はそんな果てに幸せなのだろうか





それを幸せとする君を好きなのだろうか




僕は君を好きになれる。




僕は僕を好きになっていけるだろうか。






英語で中国語でイタリア語でギリシャ語で考えたら





答えは変わるだろうか。





行動する後悔と行動しない後悔を天秤にかけるとどうだろう。





そうやって普通に人は来たのだろう。





視界も味も匂いも何もかも変わるような刺激があり、ない。





僕の過去と今と未来に君『の』歴史を混ぜ合わせる。






僕を選んだ後は




常に昔の人の方が良かったと思われるのでは




という信頼関係が続くのだろうか。




将来子供が出来たら君は子供に話すだろうか。





いや、





今君は良き人に全てを語っているのだろうか語るのだろうか。






隠すというのは秘密だろうか。





彼女は彼女は








秋のような日の夜は少し悲しさが入り混じっている。





大きな道路から少し離れた終わりかけの居酒屋の暗さが




自分の影を映す、そこに車の鳴らす道路で音がつけられる。






遠くで車がやって来て通り過ぎる度に心もぐらつかされる。





車の音で心が騒ぎ、




去ってしまう静けさで自分に何もないような空虚さが現れ出す。





そして繰り返す。




そしてその音でさえも繰り返しのさなかで愛おしく成り出す。





どこにも行かないでほしいと欲してしまう。





そんなことが好きなのだろうか。





会いたいのか会いたくないのかわからないのだろう。





少し自分が死にたいと考える時と似ていると気づく。





この暗さも時期に深まるのだろう。




硬いアスファルトも靴の柔らかさで硬さを忘れている





道路のセンターラインに座り込む。





伸びた線の橙色も元からなのか光の加減なのかもわからない





自然なのか不自然なのか教えて欲しかった。





愛される人間とはどんな人間なのだろう。











遠くのアパートの窓の明かりが



今消えたような気がした。