島へ嫁いで26年…

今日は

母のことを
振り返ってる…

9年前の
11月30日が命日。

病に伏しても

いつも
笑顔…

亡くなる一年前

気仙沼 島から
実家
神戸まで
(この頃もだね…)

今のように

毎月
仕事の合間に
帰っていたんだよね…。

その頃の
私の
仕事は
介護福祉士。

認知症グループホームにて
夜勤明番の日に
神戸へ~

母の
緩和ケア病棟にて
過ごす日が
なぜか
しあわせだったなぁ
母と二人
静かに本を読みながら
母の青春時代の
聞いたことのない話を
驚いたり…

あのね

不思議なんだけど

長い
抗がん剤治療で…
病状は
良くなくても…

     [親は死なない]って
    思っちゃうんだよね…。

母の
亡くなる前夜は
一晩中
おしゃべり…
父との
馴初め…

社交ダンスで知りあって💗

社交ダンスの名人!!
だった父は
当時
モテモテだったんだって…( 〃▽〃)

母は
大好きな人と結婚できた。

そのあと

父が
会社勤めを

突然やめて‼️

会社起こして

始まりは
めちゃめちゃ
母も
苦労した…らしい。
ちょっぴり
その姿を覚えてる…。

その頃から

京都伏見稲荷大社に
朔日 十五日参り
していたんだよね。
稲荷さん大好き💕

お金がなくて
大阪の
おばあちゃん家で
週末はいつも
過ごしていた…。

父の
経営者としての
才や
人徳も
相まって…

お金に余裕ができても
趣味やらなんやら
いろーんなことに
お金が流れても
母は
文句なんて
一切言わない

今も
父は
亡き妻が一番…
そりゃ
そうだよね~
お蔭で
好きに
人生
謳歌(*^^*)

母の
最後のことばは

「パパ
愛してる」
パパあいしてる~
なんども
くりかえしたの。

ドラマみたいだけど…

本当。

父は
この言葉を聞けず…

間に合わなかったけれど

死間際の
母の
あの
呼吸を

父は
見なくて
良かったんだって
私は
今も
思ってる。

「愛してる」のことば
は…
父には
毎日の暮らしで
届いていたはず。

あっ

でも
言葉で伝えるって
大切だよね。

「ありがとう」
「愛してる」
言葉で

伝えていこうっと…。

出来るかなぁ…

むかし…
幼い頃…
ここの
うどん食べて
しあわせだったのを
思い出した✨

45年経っても
変わらず…
の商店街

私達 姉弟にとっては
世界一美味しい
コロッケを売っている
大阪茨木市の
とり粂肉屋さん☆