白井市・富塚鳥見神社(とみづかとりみじんじゃ)
(同名神社と区別するため地域名を付加しています)
社号:鳥見神社
所在地:千葉県白井市富塚694
北総線「西白井」駅より北へ直線約2.2Km先に鎮座されています。
御祭神:饒速日命
創 建:江戸期
御由諸:鳥見神社の歓喜天
歓喜天は大聖歓喜天または聖天と呼ばれ、人身象頭の特異な姿をもつ、像は男女二天が抱擁する双身像が最も多く造られ、男女和合・縁結び・子恵みおの神とされている。
また、正面には「大聖歓喜天」、右側面に「腰大道師天龍山権大僧都法印興憲 奉新造替客殿壹宇如意成就所 腰急雨山西輪寺圓乗院貫随」と文字が刻まれ、この塔が富塚村の西輪寺の関係者によって、客殿の造り替えを記念して明和八年(一七七一年)に造立されたことが確認できる。
造立の経緯については、当初富塚字宮ノ前に安置されていたものが、明治四十一年(一九〇八年)に鳥見神社に合祀されたということは伝えられているが、その他の詳しいことは伝えられていない。
この石塔は、市内に存在する唯一の歓喜天像であると共に、信仰上の見地からも非常に貴重な資料である。
鳥見神社の切られ庚申
鳥見神社の参道には多く庚申塔が並んでいますが、その一番奥側(本殿側)に建つこの庚申塔は、安山岩製の板碑型の三猿庚申塔で、高さは一〇二cmあります。表面には「奉造立庚申二世安楽之所」の文字と共に雲龍坊など十三名の名が陰刻され、下部には三猿(向って右から、言わざる聞かざる見ざる)が陽刻されています。一方、右背側面には大きくえぐられた傷があります。宝永三年(一七〇六)に建てられたこの庚申塔は本来、我孫子市布佐など利根川岸から白井市内を経て松戸市へと続いていた「鮮魚道」の脇に建っていたもので、明治時代の初期にこの場所に移されたものだと言われています。鮮魚道は江戸時代に銚子で水揚げされた魚を運ぶのに利用された道です。庚申塔のえぐられた部分は、魚を運搬する鮮魚師がある夜中に火の玉に襲われ、恐ろしさのあまり闇雲に刀を振い、誤って切り付けてしまった刀跡だという伝承があります。鮮魚道の存在は近世の白井を語る上で大きな特徴の一つであり、本庚申塔は鮮魚道にまつわる伝承を持つ市内でも代表的な文化財として貴重なものです
旧社格:村社
御祭礼:11月3日
御朱印:-
駐車場:-
ご 案 内
神社入口
境内参道
手水舎
狛犬
社殿正面
社殿外観
壁面彫刻
境内社:浅間神社
三山神社
境内施設:神楽殿
記念碑など
東日本大震災で倒壊した玉垣の一部
帰路