前回までの復習です。
以前、神様は人間関係について、最初に要点を述べられました。
今日もここにまとめて、要点中の要点を書いておきます。
①幸せな関係を築くには、”人間関係の本来の目的”のために、関係を活用すると良い
②創造と表現を通して、”自身のすばらしさ”を経験することが、人間関係では可能である
③「他」がなければ「自分」はない
④人間関係について深く理解できると、すべての経験、出会い、関係をうれしいと思えるようになる
⑤すべての関係を”うれしいもの”、”特別なもの”、”自分を創りあげる経験”として捉えると良い
⑥出来事に対して「どうありたいのか」「今、何をするか」という決断を通じて、どんな人間になるかを選ぶことができる
①の人間関係の本来の目的について、神様が言われたのは以下の通りです。
”目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、ほんとうの自分になること、それである”
”目的は、自分自身のどの部分を「明らかに」したいかを決定することである”
よく、「飾らず自分らしく」と言われますが、この「自分らしさ」についても、自分で決めることができるようです。なぜなら上記にもありますように、
「人間関係の目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め・・・」とありますし、
「自分自身のどの部分を『明らかに』したいかを決定すること」とあるからです。
自分の「本当の自分らしさ」を、私たちは自分で決めることができます。
こうして決めたすばらしい自分を人間関係においてシェアすること、それが人間関係の目的とのことでした。
人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。
神との対話1 P167~168
~略~
相手が何を考え、期待し、計画しているかはどうでもいい。
大事なのは、その関係のなかであなたが何者であるかだけである。
最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。
~略~
自分を愛していなければ、相手を愛することはできない。
特に大切なところでしたので、神様の言葉をそのまま引用しました。
私たちは、まずは自分自身を愛する必要があります。
自分を愛せないまま誰かに恋をすると、ひたすら相手に合わせることになります。
そうすると、自分がますます小さく抑圧されてきます。
相手も、愛を信頼できない相手に合わせる必要があるため、小さくなっていきます。
ふたりのエネルギーは、1たす1は2とはならず、2より小さくなってしまうのだと、神様は言われました。
ほんとうの人間関係は、決してそんなものではない。
神との対話1 P170
だが、あなたが考えるよりもずっと多くの人たちが、そういう人間関係を経験している。
今日の解説は、ここからです。
ニールさんは、多くの人たちが人間関係を結ぶことでさらに自分を小さくさせてしまっていると神様に聞いて、
「なぜ、そんなことになっているのか?」と不思議に思い、神様に質問しました。
神様は約2ページにわたってその質問に答え、説明されています。
”それは、ひとが人間関係の目的を見失うから(一度は知っていたとして)だ”
と、最初に言われました。
人間関係の目的とは、先ほどもありましたように
”目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、ほんとうの自分になること、それである”
”目的は、自分自身のどの部分を「明らかに」したいかを決定することである”
とのことでした。
この目的は、自分自身にも相手にも当てはまります。
私たちは”発達進化し、自分自身になっていく存在”であり、
”あらゆるものとの関係を活用して、何者になるかを決定する”とのことです。
これらを叶える時、”喜び”を感じるのだそうです。
「自分を創造する喜び」「自分を知る喜び」「意識的に自分が望む自分になる喜び」を
感じるのだそうです。
このようにして”意識的に本当の自分自身になっていくこと”こそが、人間関係だけではなく、人生の目的そのものなのですが、
とくに”個人的な人間関係が、このプロセスの最も重要な要素になる”とのことでした。
ここは理解しにくいところです。
「本当の自分になっていくのが目的」のに、なぜ「他人(人間関係)」が重要な要素になるのでしょうか。
あなたの最初の関係は、自分自身との関係である。
まず自分自身を大切にし、慈しみ、愛することを学ばなければならない。神との対話1 P171
他者の価値を見抜くためには、まず自分に価値を見いださなければならない。
他者を祝福すべき者として見るためには、まず自分を祝福すべき者として見なければならない。
他者の神聖さを認めるには、まず自分自身が聖なる存在であることを知らなければならない。
以上の引用を読むと、自分が他人をどう見るかで、逆に自分が自分をどう見ているのかが解るようになっていることに気付きます。
他者を見下げる人は自分を見下げており、
他者を祝福に値する人と思えない人は自分を祝福に値する人と思っていません。
他者にある神聖さが認められない人は、自分自身の神聖さを知りません。
このように、「自分が自分を何者だと認識しているのか」をはっきりと教えてくれるのは、目の前にいる他人なのだということが分かりました。
だからこそ他者の存在、人間関係の存在は、「本当の自分自身になっていく」ために必要なのです。
これからは自分を中心にしなさい。
いつでも相手ではなく自分が何者であるか、何をし、何をもっているかを考えなさい。
あなたがたを救うのは、相手の行動にあるのではなく、あなたがたの反応のなかにある。
神との対話1 P172
ニールさんは、この神様の言葉に反感を覚えました。
これまでニールさんは他人の言葉や行動にたくさん傷ついてきたからです。
そこで以下のように質問をしました。
「自分の心が安定していれば、そして自分を中心に据えてさえいれば、他人(あいて)は何をしてもいいと、神様は言われているのでしょうか?
相手が何をしたとしても、自分さえ心の状態を整えて居られれば傷つくことはないのでしょうか?」
神様は以下の通り答えられました。
いつかは傷つかなくなる日がくるだろう。
神との対話1 P172
その日、あなたは人間関係の真の意味、人間関係を結ぶ真の理由に気づき、真の人間関係を実現するだろう。
私たちは全員、人間関係に傷つかない日が来ることを、神様はここで言われました。
また、先ほどの一文から
”わたしを救うのは、わたしの反応のなかにある”ということも、忘れてはいけないことだと思えます。
傷つかないという”感情(反応)”を求める人々は多いはずです。
次回は感情についてのお話があり、再び人生の目的についてのお話があります。