米側の調査報告書によりますと、原田と西開地は何人かの島民を代わる代わる捕まえて人質にしまして書類を要求しましたが成功せず、その1人でした6尺豊かの大男で51歳の元首長ベネハカカ・カナヘレが隙を見て西開地に飛び掛かり、ピストルで3発も射たれながら負傷に屈せず、逆に柔道2段の西開地の首を締め付け石の壁に頭を押し付けて絶命させましたといいます。
 その間に原田は夫を助けようと組み付きましたカナヘレの妻と格闘、振り払った後ピストルで自決しましたとされますが疑問も残ります。
 カナヘレが負傷しましたのは事実で、事件が終わりました後カウアイ島の病院に入院していますし、後に負傷しました軍人に与えられますパープル・ハート勲章も貰っています。ですが3発も射たれながら素手で西開地を組み敷いて絶命させるのは常識的には無理でしょう。功名を誇るためのフィクションが混じっていると見るべきで、既に死を決意していました2人は、カナヘレの奮戦に関わりなく自決しましたと考えるのが自然です。
 ともあれ「ニイハウ島の戦闘」は真珠湾攻撃の日から6日目の12月13日朝に終わりました。
 ボートで急を知らせましたカレオハノの案内で、カウアイ島から2世の陸軍中尉の率いる兵士16人が到着しましたのは、14日の朝でした。一行は一通りの事情を調べ、カレオハノが隠していました西開地の書類を受け取り、原田夫人ともう1人の日系人新谷某を逮捕しましてカウアイ島に連行しました。
 新谷は、カナカ人の女性と結婚しまして、混血の子供もいましたが、この事件にどんな役割を果たしましたのか明確でありません。一説には原田に頼まれて、カレオハノに問題の書類を買い戻す交渉をしましたが、拒絶されまして手を引いたのですともいいます。