ここ数年の夏は、涼しいところを求めて旅していたが、今年は、夏らしく過ごそうと決めて2月ごろに昨年5月にも行った長崎へ再び行くことに決めた。
 
前回は南の雲仙~島原だったが、今回は北の佐世保~平戸へ。おりしも7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が【世界文化遺産】に決定したばかり。前回の旅ではじめて「隠れキリシタン」に触れ、平戸もまた「隠れキリシタン」に縁の深い地であることを知って旅先に決めたこともあり、この【世界文化遺産】登録はとてもタイムリーだった。これからは人が増えて行きにくくなるに違いない。
 
わたしの旅のミッションには、「コスパ重視」が含まれており、スカイマークでの神戸~長崎往復がこのお盆の時期に15,000円は何よりもありがたいのだが、これからはそうもいくまい。だが、この飛行機、往きの到着時間は14:00。1日目の行動がかなり制約されてしまうというネックがある。
 
ということで、1日目は佐世保に立ち寄り、九十九島クルーズを計画するも果たせず、佐世保バーガーを食べただけ。そこから平戸市田の浦の入り江の畔にただ一軒ぽつりとある宿に到着して、温泉に入って魚と平戸牛をたらふく食べて胃もたれしただけとなった。
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鯖、カマス、シイラ、鯛、シマアジ、サザエ…まったく臭みのない海で健全に育ったお魚たちの命をいただく。

お腹いっぱい。

 

 

翌朝、平戸島からほど近い、生月島へ。写真は生月島から平戸島を眺めた風景。水色の橋が二つの島をつなぐ。

 

 

生月町博物館『島の館』へ。メインの展示は明治時代から「クジラ」と戦ってきた海の男たちの暮らし。ジオラマで大きなクジラ相手に格闘する姿が描かれている。木でできた釣り船でクジラを取り囲み、銛を打ち込み、ある者は泳いで背にしがみついて、トドメを刺す。浜には、大勢の人々が待ち受け、クジラを解体。骨~皮~内臓~捨てる部分などない。こうして一頭のクジラによって数え切れない人たちの命はつながれる。

 

展示の最後の方に捕鯨船に積み込まれた、巨大な銛があった。良いとか悪いとかは、わからないけれど、命を賭けてたった一頭のクジラの命をいただくのとは違う世界なのだと感じた。

 

生月島に住むカクレキリシタンの説明映像を見た。司祭がいなくなってから、仏教や神道とも共存しながら守ってきた信仰。一神教のキリスト教とは異なる、多神教に近いものへといつの間にか変わってしまった。マリア様が着物姿であろうが、キリスト様がちょんまげであろうが、関係ない。

 

 

生月島の山田教会

1878年から平戸方面も担当したペリュー神父の働きによってようやくカクレキリシタンからカトリック信徒となる人々が現れた地区。1912年に鉄川与助の設計・施工でレンガ造の現教会が建てられた。

(長崎旅ネットより引用 https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/591/ )

中は撮影できなかったので、「魅力あふれる平戸の観光情報ほっこり Hirado」より引用。
明るくあっけらかんとしていた。土地の人たちが大事にされてきたあたたかな穏やかさがある場所だった。大切に大切に納戸の奥にしまわれて、守られてきた独自の信仰。島原に行ったときにも感じたのだが、隠れることそのものが信仰となり、形を変えて守り、子孫へとつなぐことが文化となる。それが今回の【世界文化遺産】になったのかもしれない。何もかもを受けとめ育む大きな優しさや愛がこの島にはある。それは、この島にある偉大な自然にも息づいている。

 

生月島にはコンビニなどはまったくなく、食べ物屋さんもない。アゴ出しのラーメン屋があるという前情報を仕入れていたがわからなかった。そこで、いつものごとく、車に乗りながら「カフェッ!!カッフェ!!!」と声をあげた。夜~朝と和食だったのでどうしてもパン系と美味しいコーヒーがほしかったのだ。そしたら、なんと!!本当にカフェが出現した。
 
「cafe PAYARA」2002年にバンドをやっていたご夫妻が千葉から移住してはじめられたお店らしい。ジャガイモのキッシュとアイスコーヒーをいただいた。美味しかった。
 

そこからほど近い場所にある「潮俵の断崖」へ。この島が~火山の噴火によってできたのだと、太古の昔からおそらくさほど変わらずにここにあることが感じられた。青い海と空、濃い緑。家の近くに景観のため植えられた草木たちが、雨が降らないのと暑さでどんどん弱って枯れそうになっているのとは、まるで違う。力強い緑。

 

みんみん蝉とツクツクボウシの合唱と、太陽に蒸らされた木々の匂いの中で、ひさしぶりに本物の「夏」を感じることができた。命の盛りはやはり夏にある。

 

平戸へ戻って、宝亀教会へ。1898年(明治31)に建設されたあまり大きくはないが、美しい教会。

宝亀教会は、建築学上多くの特徴をもつ聖堂で基礎は石造、外壁はレンガ造、屋根は単層切妻の瓦葺、窓形式は側面に尖頭アーチ四季の円型ハメ殺し窓、天井は身廊、側廊ともにコウモリ天井の板張りである。あまり大きな教会ではないが、平戸を代表する美しい教会であるといえる。

(引用:魅力あふれる平戸の観光情報ほっこり Hirado https://www.city.hirado.nagasaki.jp/kanko/bnka/bnk13.html )

 

平戸城は、遠くから見ていたら、おもちゃっぽい感じ(失礼…)だったのだが、近くまで行ったらその石垣や冠木門の古さに圧倒された。このお城の城主は松浦(まつら)氏。よく歴史を知らなかったのだが、なんでも松浦氏は平安時代末期には水軍として名を馳せていたようだ。戦国~豊臣~徳川の時代をするすると身を変え生き延びたしぶとさのある武士だった。徳川家康から疑いのまなざしを向けられたときには、自ら城を焼いてしまったとか。

 

またキリシタン保護政策をとっていたのに、具合が悪くなると弾圧側にまわったりもした。平戸といえば、南蛮貿易。戦国時代~江戸時代初期まで(出島に拠点が移るまで)平戸は貿易で栄えていた。禄高は6万1千石に過ぎなかったそうだが、実収は密貿易などによって20万石以上。

怪しい…怪しすぎる。

 

平戸城に系図が掲げられていたが、今まで訪ねてきたどの城の大名の系図よりも長く複雑なものだった。長崎の端っこの島は、縄文時代の遺跡などもたくさん出土しており、不思議にパワフルな「陽気」にあふれていた。水軍~戦国武将~密貿易~キリシタン弾圧と変幻自在に変わりながら生き抜くしぶとさって、大事なのではないだろうか。しなやかに、力強く。

 

そして、3日目念願の九十九島遊覧船めぐり。

岩の上で潮風と潮水にさらされ続けてもなお深い緑をたたえて生い茂る木々。あの小さな島に真水はあるのだろうか。植物の図太いまでの元気さ、海の藍、空の蒼、雲の白。佐世保から平戸までが約25km、複雑なリアス海岸と208の島々が織りなす景観は、船の移動につれ目まぐるしく変化し目が離せない。

 

人が住む有人島は4島、他はすべて無人島。有人島のひとつに今回行きたいと思いながら果たせなかった黒島がある。この力強い夏の景色は、春秋冬と、そして季節だけでなく時間によっても顔を変えるのだろう。今度は、違う季節に黒島上陸を果たしたい。

 

 

 

船からおりたところに、美味しそうなイタリアンのお店があり、飛魚(アゴ)出しのパスタと綺麗なデザートを食べた。

毎年、このお盆休みの旅が終われば、わたしの夏は終わる。

おしまい。(長くてごめんなさい。読んでくださった方、ありがとうございました。)