今回のブログはキングオブコント2019にて異例の優勝を遂げたどぶろっくの演劇「大きなイチモツをください」について書こうと思う。
当演劇はとある男が病の母を救うため、森で薬を探しているところに森の神が現れるといったものだ。
森の神は何か一つだけ願いを叶えてやると男に言うのだが、男は何を考えたのか母の病を治すことではなく大きなイチモツが欲しいと頼む。
詳しくはKOC2019を鑑賞してもらえればと思う。
前置きはここまでとして、私はこの演劇を見ているときに思った。
男はどうしてそこまでして大きなイチモツが欲しかったのか?ということだ。
大きなイチモツ。それは男として生を受けた以上永遠の望みである。
女性の方には理解できないだろうが、大きなイチモツというものはあるだけで自己肯定感につながる大きな存在なのだ。
全裸の男が蔓延る銭湯では最も大きなイチモツを持つものが王となり、我々のような小さなイチモツを持つ弱者が王の体を清めさせていただく。
女性には想像もできないと思うが、実際そうなのである。
上記は男のステータスとして大事だが、母の病よりも優先すべきかというとそうではないだろう。
ではなぜ男は母の病ではなく大きなイチモツを求めたのか。
演劇の冒頭、男は地面を這うようにして必死に薬を探している。森に一人で出向き、這ってでも母を助けたかったのだ。
見かねた神が願いを叶えてやると言って現れた途端、男の要望が大きなイチモツに切り替わった。
私は神が現れたその瞬間、男の心情変化が起きたのではないかと想定した。
男を自分に置き換えてみよう。
大好きな母の病気を治すため、一人で森を徘徊している。
何故だろう。
人手があった方が良いのではないのか?
友達でも村の人でも誰かに助けを求める事はできたのではないのか?
ここで電撃のような閃きが生まれた。
………彼は恥ずかしいのではないのか?
そう一度思った途端点と点が線になった。
私は反抗期というものになったことがあるが、真面目に生きる自分がたまらなく恥ずかしいのだ。
好きな女の子がいても意地悪をして気を引き、人の道に反する事がかっこいいと信じてやまない時期である。
上記を踏まえ、男の年齢を13〜15歳あたりだと仮定しよう。
着用している服はサスペンダーにベレー帽。
違和感はない。
次に一人で森を徘徊したこと。
反抗期の状態で、母の病を治すために誰かに力を借りる事はこの上なく恥ずかしい事だと思うだろう。
だが母を愛する気持ちはある。
だから一人で薬を探したのだ。
そしてそんな時に神が現れる。
バレた。誰にも見られずに薬を探し、そこらへんにあったわ。と母に投げるように薬を渡したかった。
なのに一番ダサい部分を見られた。男に。大人に。しかも、神に。
恥ずかしい。俺は薬を探してたわけじゃない。俺はそんなことしていない。
恥ずかしい。どうしよう。ふざけてやるか。
「大きなイチモツをください」
さて、衝撃の事実を目の当たりにした読者の皆は今腰が抜けているだろう。
そうなんだ。全てに辻褄が合う。そう、全てに。
恥ずかしさから男はその後も、銭湯で皆が二度見する、クジラのような大きさのなどとふざけ続ける。
神が呆れて立ち去ろうとすると、男はこう続けたのだ。
「ついでに大きなイチモツをください」
そう、遂に本心を少しだけ出したのだ。
薬はどうしても欲しいため、ついでにという表現をしたのだろう。
反抗期の男が母の病を治すため、神に不格好なお願いをしたのだ。
その後神は再度呆れ、立ち去ろうとするが男は後を追う。
そこでこの演劇は幕引きとなっている。
男はどうなったのか知る由はないが、風の噂でこんな話を聞いた。
「病だったはずの母とその息子が街に買い物に出てきているところを見た。」と。