ニューヨークに行ってきました。
15歳の時、はじめて降り立ったアメリカは、何もかも大きくて、自由で、クールでした。
16歳になるころにも、一度だけニューヨークを訪れたことがありました。
いずれもたった1週間余りの滞在経験でしたが、毎日がときめきに溢れていて、新鮮で、強烈な経験だったことを覚えています。
外国、つまりその時の私にとってアメリカ、を知ったときは、それまで見ていた世界はなんて味気なくて一様だったんだ、なんて思っていました。
帰国後は、文字通りアメリカに恋をしていました。
アメリカのことを考えると心がぎゅっとなって、ワクワクして、なんでもできてしまうような。いつかアメリカ人のような英語を話し、アメリカで暮らすことを夢見つつ、中高生活を送っていました。
そこから今まで不思議と、アメリカに来る機会はなかったんですよね。
だから実にほぼ5年ぶり。その間に大学生になり、いろんな世界を見ました。いろんなことを考えました。アメリカという国それ自体に対する憧れは、少し忘れていました。
まさか大学3年生になって、こんな気持ちでアメリカを見る日が来るなんて、前は想像もつかなかっただろうなあ。
まずひとつ、アメリカナイズされていた私にとって、ヨーロッパに留学したことは本当によかったなあ、と再確認できました。
たしかに、あらゆる人種をまとめる強いナショナリズムとか、ざ・資本主義社会に立脚した強大な経済力とか、伝統という言葉では説明できないのに確信度の高い文化とか、アメリカの凄さは否定できません。
あの時魅せられたアメリカは依然としてそこにありました。懐かしかった。
でも、今回はしっかり、アメリカを相対化してみることができました。
大量生産、大量消費。
ヨーロッパでは、環境のために飛行機を使わず陸路で旅したり、さらにはグレタさんのように、環境に配慮しない大人に対して学校ストライキをしたりする子供も出てくるくらい。
でもアメリカに来て、ファストファッションやファストフードにあふれている様子、ゴミ、ゴミ、ゴミ、というように必要以上のものが作られてはとにかく捨てられているというサイクルを切り取ったシーンばかりが目につくようになっていました。
アメリカはヨーロッパに比べたら歴史が浅い国、というのは知識としてありましたが、本当にそうだなあ、とも思いました。
たとえばニューヨークで観光客を集めているオペラ、美術館の絵画も、もとはといえばヨーロッパの文化だと思うと、別にアメリカが全部を持っているわけじゃない。芸術のショウケースのようなことをしていて、その根底にはビジネス、資本主義がある。あたりまえだけど。
中学生のわたしに、アメリカだけが文化を作り出しているわけではなくて、むしろ世界中のいろんな優れた文化を寄せ集めて作り見せることが新しい国アメリカの役割なのかもしれないね、と言ったら、どれだけ理解できていたでしょうか。
あれだけ夢見たニューヨークも、たしかに変わらず魅力いっぱいの街だったけど、独断と偏見で言えば、愛着がわいていて心地よい東京の方が好きだと、胸を張って言えるようになっていました。(アメリカが恋だとしたら日本は愛……?)
アメリカからの帰国子女でもなんでもありませんが、わたしの青春(?)、思春期、にはいつもアメリカや英語があったのです。
アメリカに首ったけの自分ではなくなる日が来るなんて。
でも一方で、わたしはこれを夢見ていたんだ、アメリカという国に魅せられることがなかったら、今の自分は決していなかったんだ、と思うと、感謝さえわいてきます。
アメリカ英語の響きも、やたらマットレスが高くて大きなベッドも、町じゅうに誇らしげに掲げられている星条旗も、大好きです。いつか暮らしたい。
「アジアからしたら一括りにされがちな西洋文化のなかでも、日本にも多大な影響を与えているアメリカらしさと、ヨーロッパらしさの間にはちがいがある」
と言ったら、どっちが好きなの?と聞かれました。
わたしは、どっちが好き、っていう質問に対して、こっち!と言える、言いたいケースはほぼありません。
これも例外ではなくて、まずは両方を客観的に見ることができるようになってよかったなと思うのと、せっかくどちらにも転びうるのだから、どちらでもありどちらでもない存在であれたらいいなと思いました。
ここからはアメリカであることと関係はありませんが、今までものすごく自己満足的な学びをしていたことに気づくことができたのも今回の旅でした。いい意味でも悪い意味でも。
客観的にみてわかる結果や成果を残すこと、他者にも価値を発揮できるようなかたちで自分のものとすること。
次日本に帰る時までの学びは、自分の中で完結させるのではなく、アウトプットを意識したものにできるようにしてみようと意気込むことができたので、楽しみに待っていてください。
あーーたのしかった!!!
