仮設住宅の管理人さんのお話

(元々避難してきた女性)

 

 

前提:仮設住宅だけじゃなくて、県が賃貸を買い上げて住む形態の住宅もある。

その場合、退去すべき、となった時に住民だけでなく貸主も困る。

 

いろんな仮設住宅を見て歩いて、ここが一番いいとなってやってきた。

いろんな施設が周りにある。

町長だった旦那が率いて、20戸くらい日本住宅があったので、そこに地域ごと入った。

 

 

・飯舘村では、2世帯3世帯が普通だった。若い人たちは借り上げ住宅に住んで、お年寄りを連れて行くことがある。

しかし、若い人が仕事に行ってしまう間、お年寄りは家に取り残されて鬱になってしまう人もいる。そうすると飯舘村の人がいるところに行きたい、と言いだし、世帯分断という形でお年寄りが仮設に住むという状況が生じる。それでも救われるお年寄りはいる。

 

・4人部屋で3K。4畳半の部屋が3つ、そして台所という感じ。

飯舘村では隣に車で行くくらい広いところに住んでいたのに、壁一枚で隔てられる。

話し声や訪問者、テレビの音ですら聞こえる。

 

・電気代・水道代などは自分持ち。飯館村では水道は井戸で済んでいた。肥料とかも藁から作っていたのに…もう今は放射能が心配で使えるかわからない。

 

・買い物は、週に2回移動販売が来る。魚屋さんやコンビニも歩いて行けるところにある。農家さんが周りに住んでいるので、仮設住宅の周りにお友達ができるという状況もある。

 

・仕事も奪われ、環境要因で夫婦喧嘩が増える、また離婚が増えるということもある。

 

・仮設ではデイサービスを受けているお年寄りが多いが、飯舘村ではそれがないため、帰りたくても帰れない状況もある。

そのほかにも、交通インフラもなく、買い物できる場所はコンビニ2つだけなので、帰れる状況でも帰れない。

 

・管理人さんのおばあちゃんは、飯舘村の時は家事を任されていた。しかし避難生活のうちにその仕事がなくなり、暇になってしまって認知症になってしまった。

 

・20数名のお年寄りが、ストレスで亡くなったと言われる。

また、一人暮らしのお年寄り、特に男性は食生活が崩れたり、アルコール依存症になったりして、体を壊す人もいた。

 

・コミュニティとして機能させるために、ただのお茶会じゃなくてハンドメイドで何かを作る会とか。女性の方は集められても男性を巻き込むことが難しいので、加えて奉仕作業、花見、コミュニケーション麻雀、輪投げ大会、ラジオ体操などを開催。

管理人として、「住民の引きこもりをなくす」を目標にして活動していた。

 

・今年の3/31で自治会は解散。

また、同時に月10万の補償金はストップした。

自営で農業やっている人が多いので、年金を払ってない人も多い。

困窮してくる人もかなり出るのではないか。

 

・飯舘村産の野菜だということを内緒にして持ち込み、会津産として売る人もいる。

チェルノブイリでは、30年経ったのにもかかわらず1900ベクレルのきのこをもらった。

 

・孫に、飯舘村の景色はみどりなんだよ、というと、黒みどりだよ、って言われた。

汚染土が入った黒い袋のことを、黒って言ってたらしい。

 

 

・行政に仮設を出ろ出ろって言われても、仮設の人がそのまま移れるグループホームを作るとか、ちゃんと帰れるような器を作るとかしてもらえないと無理。

ちょっと待ってください、って言っているうちにみんな年老いていなくなっちゃいますよ。って言ってる。

デイサービスに関わるお金を行政からもっと回して欲しい、という声を通すのだけだって3年もかかった。