2012年5月31日 産まれる。


29日

近くの産婦人科で妊婦検診にいくも、子宮が開いてきているとの診断で即入院。

時間も19時を過ぎていたため、翌日に転院先を探すとのこと。


30日 

22週ということもあり、どこの病院からも転院を断られる。

あと数日待てば23週になるので、それまでかかりつけの産婦人科で絶対安静をしようということに。

その後、院長先生が粘り強く交渉し続けてくれ、大学病院に搬送決定。

幸いにも、30分ほどの場所にある大学病院で県内で唯一の総合周産期母子医療センターだったのだ。

救急車にて搬送され、絶対安静継続(MFICU入院)


そして、31日のお話。


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朝になり、朝ごはんが出た!
でも、横になったまま食べなきゃいけない。
汁物なんて、絶対食べられない。
食欲もなく、一口くらい食べただけかな。

回診で先生がきた。
この日は、木曜日。
金曜日まで様子をみて、金曜日に子宮を縛る手術をするか判断するとのこと。

とりあえず、ひたすら安静。

そして、張り止めの点滴。」
携帯は触れるので、携帯でいろいろ暇つぶし。

お腹の張りも落ち着いている。

ただ、吐き気だけはずっとあった。
ご飯食べても吐くし、お水を飲んでも吐く。

お昼を食べた後に、吐いたとき。
下半身に違和感が。
尿道に入ってるカルーテルが吐いた瞬間に膨らんだように感じたのだ。
看護師さんに伝えるも、よくあることだとスルーされる。
(あとで、これは尿道のカルーテルじゃなくて胎胞が膨らんでいたと発覚)

午後から、母とダンナさんと義母がお見舞いにきてくれることになっていた。
面会時間より少しだけ早く母がやってきた。
母が到着して直後、また吐き気が。
吐いた瞬間に再び下半身に違和感。
また何かが膨らんだのだ。
しかも、先ほどとは比較にならないくらいでっかく。
しかも、今度は小さくならない。
でも、私は冷静で母にちょっと待っててと伝えてナースコールをする。
なんと伝えていいかわからないので、とりあえずきてもらう。
この時点で、母は廊下で待っててもらうことに。
私は尿道のカルーテルが膨らんでると思ってたので、そのように看護師さんに伝える。
看護師さんに、ちょっと見せてね、と確認してもらったら。
看護師さんが、あわててナースコール!
「何人かきて。先生も呼んできて!」
なんと、胎胞が出てきちゃってるということが発覚!
私、びっくり~
でも、まだ冷静。
ベッドのまま、陣痛室に緊急移動。
移動途中に、母の姿が目に入る。
ダンナさんに電話して、と伝える。

陣痛室に入ると、たくさん人がいる!
主治医の女性の先生もいる。
ちょうど、下まできていたというダンナさんも入ってきた。
一緒に、先生の話を聞く。

ここまで胎胞がでてきてしまったので、出産するしか選択肢がない。
ただ、昨日の時点では逆子だったのだが、今は通常に戻っている。
なので、普通分娩の選択肢もあるとのこと。

今後の出産のことも考えて、母体のためには普通分娩の方がいい。
赤ちゃんのためには、帝王切開の方がいい。

どちらか、選ばなきゃいけなかった。
でも、私には選べなかった。
ダンナさんには、申し訳なかった。
彼に判断を投げてしまったのだ。

普通分娩を私たちは、選んだ。
そこからは、陣痛を待った。
時々やってきる陣痛を耐えながら、合間合間に雑談をする。
ちょうど、彼が病院についたときに、私の母から電話が入ったらしい。
「もうすぐ生まれる!」
そのタイミングで、義母も病院に到着しダンナさんと同じエレベーターになったらしい。
ものすごい偶然。
ものすごいタイミング。
2人の母が、私の出産を見守ってくれたのだった。

また、この場でもジェルネイルが話題に。
取れないよね~とのこと。
同席してた先生が、ACとかでジェルネイル禁止!ってしてくれないかなぁ~
なんて、ぼやいていた。

(3週間前の結婚式のためにジェルネイルをしており、ちょうどこの週末に取りに行く予定だった)

※ジェルネイルのせいで、体内酸素飽和度が計れない。

搬送されてきた時点から何度となく、言われました^^;

なお、心電図を午後から取ろうっていう話はあったのだけど
まだ取ってなくて、このタイミングで心電図をとりにきた。

そんなこんなで、何度か陣痛の痛みを逃していたら。
ふたたび、吐き気到来。
吐いた瞬間に、今度は破水!
破水してしまったけど、子宮の入り口は最初のお状態より広がっていない。
この時点で2センチらしい。

そこで、緊急帝王切開が決定。
手術室に移動をなりました。

お昼ごはん食べちゃったよね~、などと先生と雑談しつつ。
麻酔科の先生とは、午前中に話をしていたため、帝王切開になった場合の
流れは聞いていたので、以外と冷静でした。

そんなこんなで、帝王切開。
下半身麻酔にて、行う。
助産師さんが、ずっと手を握っていてくれたのが心強かった。
ここの病院の看護師・助産師さんはほんとプロフェッショナルで安心できた。

手術が開始されてどれくらいたたったころだろう。
あっという間だった気がする。
赤ちゃんが、生まれた。
でも、泣き声は聞こえてこなかった。

だけど、手足はバタバタしていたらしい。

しばらくして、手を握っていてくれた看護師さんが赤ちゃんを見に行ってくれた。
元気に動いてますよ、との言葉に一安心。
その段階で、性別がやっとわかった。
女の子だったのだ!

この病院にはプロの新生児科の先生がいる。
安心して任せられるのだ。

しばらくして、私はまだ手術ではあったのだけど
赤ちゃんが保育器に入れられた状態で、私の横に連れてきてくれた。
小さい!
だけど、ぶっちゃけメガネをしてなかったのでぼんやりしか見えなかったのだ・・・

その後、赤ちゃんは廊下で待っていたダンナさんと2人の母と対面。
このときも、赤ちゃんは手をバタバタしていたらしい。

手術中も、後半は安心したのが吐き気再発。
この日は朝から吐き気を戦っていたけど、このときが最後の吐き気の戦いだった。

無事、手術も終わり病室に戻る。
簡単に後処理を行ったあとに、ダンナさんと2人の母と面会。
私は以外と元気。
でも、術後ということもあり2人の母は早めに帰宅。
とはいえ、18時頃だったかなぁ。
ダンナさんは引き続きそばにいてくれた。
新生児科から呼ばれるのを待っていた。

生存率10%。

このことは、頭から抜けていた。
大丈夫!と信じて疑っていなかった。

23時ころ、ようやくダンナさんが新生児科に呼ばれて話を聞いてきた。
397グラムの小さな小さな女の子。
後から、看護師さんに聞いた話。
先生からの話を聞いたあと、赤ちゃんに対面したダンナさん。
看護師さんから、触りますか?といわれて躊躇なく触ったらしい。
看護師さんいわく、たいていのお父さんは躊躇するらしい。
あまりに小さく生まれてしまったわが子に対して。
その話を聞いて、私はすっごく嬉しかったのだ。

新生児科で話を聞いてきたダンナさん。
何をダンナさんから聞いたか忘れてしまいましたが
とりあえずの山場は3日間とのこと。
その日からカウントダウンがはじまりました。