性欲は、子孫繁栄に必要です。

性欲が無ければ、
人類は滅亡してしまいます。

しかし、人間が
文明社会を作るようになり、
「社会」を構成するようになり、
「社会」の秩序を守るために、
後付けの「法律」というものを
作るようになり、

人間は、「社会」の縛りの中で、
「法律」という縛りの中で、
生活するようになりました。

秩序を守るために、
この「縛り」を守ることは
大事なのですね。

社会の中での「縛り」を
守ることは、
性欲に制限が生まれてきます。

徳川幕府の何代目かの将軍は、
50人も子供を作ったという。

徳川幕府にも一応、法律はあるけれど、
この将軍は、
性欲に制限が無いですね。

山口達也もジャングルの中で、
原始生活をしているなら、
「セクハラ」という言葉も無いし、
女子高生もいないから、
山口達也の性欲も
制限されることは
無いでしょう。

しかし、
文明社会の中で、
法律という縛りの中で、
人間は生活しています。

この縛りの中で生活するのは、
性欲が制限されるのはキツイです。

しかし、
秩序を保つ保つためには、
性欲の制限は、仕方ないことです。

男性は、女性より性欲が強いです。

それがゆえに、
社会の秩序を保つために、
男性の性欲が制限されるのです。

子供を産むのは女性です。

だから、男性は、
女性に優しくしなければいけないし、
女性を大切にしなければいけないのです。




●ブロゴス
●人はみな性的な目で見られている

赤木智弘

2018年04月28日 16:39

このところ、大きなセクハラ問題が2つたて続いた。

1つは財務省の福田前事務次官による女性記者へのセクハラ疑惑。

もう1つがTOKIOの山口達也氏による未成年女性タレントへのセクハラである。

前者については福田前事務次官はセクハラ行為を認めていないものの、財務省はセクハラ行為があったと判断し、減給20%6ヶ月の処分を行うという。(*1)

後者については山口氏自身が共演の女子高生タレントを自宅に呼び出し、無理矢理キスをしたという一連の行為を認めている。(*2)

まず、セクハラ被害を受けた女性たちの対応は十分に立派であったと考える。

女性記者は自分の所属するメディアが協力してくれないと感じた結果、他のメディアに情報を提供し、結果、今回の問題を表沙汰にした。

また未成年女性タレントは無理やりキスされるという被害は防げなかったが、その後に屈すること無く示談を成立させ、また山口氏自らセクハラ行為を認める記者会見を行わせた。

社会的権力を盾に一方的に他者を性的な欲望のために利用するセクハラは許してはならないし、また発生したときはしっかりと断罪される必要がある。

こうして問題が露出する傾向はいい傾向であるといえる。

しかし一方で残念なのが、この問題の論じられ方である。

被害者女性を誹謗中傷するような論じ方は論外だが、一方でセクハラを批判しているように見えるようでいて、実のところ全く関係ないことを論じている人たちが目についた。

具体的に2つの例を挙げてみよう。


1つは作家の筒井康隆氏の言葉である。

筒井氏は自らのサイトでセクハラ問題にこのように言及している。

「セクハラ問題でテレビがえらく騒いでいる。異性にモテず、二枚目意識も持てない人はセクハラに走るしかない。気の毒としか言いようがない。」(*3)

テレビでえらく騒いでいるセクハラ問題は上記の2件である。

かたや官僚のトップである事務次官という権力者、かたや年をとったとはいえ、問題の発覚までメディアの最前線で活躍してきた人気アイドル。

この二人の問題をして「異性にモテない人の問題」とくくるのは無理やりどころか真逆の嘘だろう。

そもそも50代の福田氏による性的なワードを連呼するやりかたや、40代の山口氏による無理矢理キスをしてしまうというやり方。

10代後半の恋愛ならともかく、大の大人がこうした幼稚とも言えるやり方をしてしまうのは、実際にこういうやり方で成功していたからである。

いわば彼らはモテるがゆえの成功体験により、安易なセクハラを繰り返していた。

しかし数を重ねる中で、成功しない事例もあり、そのうちの氷山の一角が女性からの告発により露呈した。

そう考えるのが妥当である。

筒井氏のような考え方の裏には「女性からモテる男性は好ましい人間である」という偏見がある。

これを逆にすれば「モテない人間は好ましくない=セクハラをするのはモテない人間だ」ということになるのである。

しかしこの考え方は角度を変えれば「モテるという状態は望ましい人格の結果としてもたらされる」という考え方になる。

故に世界の男たちは歳を重ねると、他人から羨望されるような若く美しい女性を手元に置きたいと考えるようになる。

それがいわゆる「トロフィーワイフ」だ。「こんな若くて美しい女性にモテるほど、わたしは素晴らしい人間なのだ」。

そう誇るための女性を手元に置くという考え方に至るのは、筒井氏のような考え方があればこそである。

いわば筒井氏のような考え方はセクハラを批判しているように見えて、

むしろミソジニー(女性嫌悪)の表明でしかないと僕は考えている。


そしてもう1つはジェンダー論を専門とする勝部元気氏の言論である。(*4)

勝部氏の言論はそこそこチェックをしているのだが基本的になんでも「ミソジニーだ」と論じてしまう癖がある。

福田前事務次官のセクハラに対してネットで「ハニートラップではないか」という憶測が発生したことについても勝部氏は「ミソジニーだからだ」と論じている。

しかし普通に考えれば、このセクハラ問題を通じて安倍政権、今回は麻生財務大臣にダメージが加わることを嫌がる人たちが、

この件を矮小化しようとして「ハニートラップだ!」といい出したと考えるのが妥当だろう。

当の麻生氏も「はめられたとの意見もある」と言及(*5)している。

彼らにあるのは女性嫌悪ではなく「マスコミ嫌悪」である。

さらに勝部氏は「ロリコンクライム」という造語を持ち出す。

勝部氏は山口氏が16歳の女子高生に手を出したということから、山口氏がロリコンクライムによって「ロリコン病」に堕ちたのではないかと考えているようだ。

ロリコンクライムとは「コンテンツが女子高校生を性的記号化し、それにより大人が女子高生を性的まなざしで見るようになり、結果として女子高生が性犯罪やJKビジネスに利用される」という考え方である。

しかし僕からみればこのロリコンクライムの論理は、単に「メディアを悪者にしたい欲望の産物」でしかないと考える。

理由は単純で、なぜなら人間は女子高校生という身分が存在しなかった時代から普通に生殖を続けているからである。

我々は保健体育の授業で「第二次性徴」という言葉を習ったはずだ。

人間の体は男女ともに10歳前後から大人の体へと成長していく。

男性であれば男性器が大きくなったり皮がむけたりし、髭が生えて筋肉がついてくる。

女性であれば乳房は大きくなり、骨盤が発達して尻が丸みを帯びてくる。

だいたいの人は、第二次性徴を迎えた男女を「性的な存在」とみなすようになる。

それは別に女子中学生や女子高生を性的記号化するコンテンツが存在するからではなく、

第二次性徴を迎えてその身体的特徴から大人であると周囲に認識されるようになったからである。

そもそもこのような仕組みは

人間が生殖をして子孫を残すためのメカニズムであり、

メディアなんてものが存在しない時代から、

ずっと機能し続けているサイクルである。

これを否定しようとすることは

種としての人間の否定と同義であり論評に値しない。

また、勝部氏の考え方は、勝部氏本人が主張する「100%加害者が悪い」にも反している。

なぜなら山口氏の加害を「ロリコン病」とみなすことは「女子高生を性的記号化するコンテンツのせい」とみなすことになるからだ。

これを素直に論じれば、山口氏もまた女子高生を性的記号化するコンテンツによる被害者であると言えてしまう。

100%加害者である山口氏が悪いというのであれば、その原因をみだりにその他の何かに求めるべきではないはずだ。

結局、勝部氏の言論は、山口氏の悪さを利用して、

マンガやアニメといったメディアに対するバッシングに誘導しているのであり、

いわば他人が受けたセクハラ被害を己の都合よく利用しているに過ぎないのである。

このように、セクハラ問題を「モテない男の問題に違いない」とか「マンガやアニメのせいに違いない」といった

筋違いの批判に結びつける言論に騙されないようにしたい。

では、本質的には何を論じるべきか。

それはつまり勝部氏の部分でも述べたとおり、

人間は第二次性徴を迎えれば性的な存在とみなされることから

逃れ得ないという事実を認識することである。

たとえ「未成年はダメ」と言っても、

では19歳は性的な存在とみなさず、
20歳の誕生日を迎えた途端に
性的な対象と見てもいいというようなルールを徹底することはできるだろうか?

19歳と20歳に何か外見的な違いがあるわけではないのだから、そのようなルール付けを徹底するのは不可能である。

そうした不自然なルール付けは、結局のところセクハラをするような悪意ある人には通用しないし、

また昨日まで子供であった人に、20歳になった途端に、これまでと異なる世界のルールを無理強いするだけの不幸なルールとなってしまう。

年齢関係なく、いくら嫌だと思っても、誰かから自分が性的な存在としてみなされることからは逃れることはできない。

そして逆に私たちが誰かを性的な存在としてみなすことからも逃れ得ない。

これは確実に人間という種におけるルールであるから、決して無視することはできない。

それは「男性が女性を性的存在としてみなす」だけではなく

女性が男性に性的魅力を感じることもあれば、男性が男性に、女性が女性に性的魅力を感じることもある。

だからこそ「自分にセクハラをしてくる人はこういう人間」というイメージに捕らわれること無く、

最低限の警戒はしておく必要はある。

いくら尊敬できる先輩や、尊敬できる上司だから、更には親や兄弟だからと言っても、

ある日突然に性的欲望を剥き出しにしてくる可能性はあるのである。

また年齢も様々である。

老人だからと言って性的魅力が無いということもなければ、同時に性的欲求がないということもない。

老人ホームで恋愛沙汰で問題が発生したり、介護の現場で女性の介護士が老人からお尻を撫でられるなどのセクハラを受けるなどはよくあることである。

「主に若くて権力のない女性が、モテない中年男性からセクハラを受けるのだ」という

筒井氏や勝部氏のようなステレオタイプ化したセクハラの考え方では、

介護を受けるような老人からの中高年女性に対するセクハラがあるということに気づけなくなってしまう。

だからこそ、もっと周囲を注意深く見回す必要があるし、

どのような関係性においても性的な問題が発生しうることを理解する必要があるのだ。

また、幸運にも現在自身に性的な関係性を持てるパートナーがいるにしても、その関係性を絶対的なものであるなどと考えてはいけない。

常にお互いに合意を形成しなければ、愛のある性的関係はやがてハラスメントに変質するのである。

結局のところ「ある少数のおかしな誰かがセクハラをする」のではなく

「自分を含めて、すべての人間はセクハラをする可能性がある」と考えなければ、

セクハラ問題を解消する話はスタートできないのである。

僕を含め、すべての人は他人を性的な目で見ているし、性的な目で見られている。

それが前提である。

自分だけをそうした場から外して、人間のルールと別のところにいる神であるかのように

人間を審判するような主張は無効である。

そのような人たちに、セクハラ問題を真正面から論じることは決してできないだろう。

*1:財務省、福田前次官に「減給20%6か月」の処分(TBS NEWS)http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3353547.html

*2:【会見詳報】山口達也メンバー、芸能活動を無期限謹慎(朝日新聞デジタル)https://www.asahi.com/articles/ASL4V41VBL4VUCLV00G.html

*3:偽文士日碌(筒井康隆 笑犬楼大通り)http://shokenro.jp/00001525

*4:山口達也さん、あなたもロリコン病に堕ちていたのか(勝部元気 エキサイトニュース)https://www.excite.co.jp/News/smadan/E1524708338839/

*5:福田氏「はめられたの意見も」=麻生財務相会見の一問一答(時事ドットコム)https://www.jiji.com/jc/article?k=2018042400716&g=eco



赤木智弘
フリーライター。



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