朝日と毎日の社説がそっくり | 岳人翔探ニュース

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【朝日新聞/社説】韓国に関係改善を急がせるためにも、安倍政権は大使を早く任地に戻し、外交の力を存分に発揮させろ

【毎日新聞/社説】大使は正常な外交のシンボル。韓国は自治体に働きかけ、日本はその努力を認め早期帰任の環境作りに努めろ

http://www.asahi.com/articles/DA3S12789874.html?ref=editorial_backnumber

http://mainichi.jp/articles/20170210/ddm/005/070/087000c

朝日や毎日は反日が基本だから分かりやすい。

 

朝日と毎日の社説がそっくり

 

要するに、反日左翼はマインドコントロールに不可欠のシナや朝鮮人に対して日本人が道徳的負い目を抱かせるような手段は、うかつに手放せないということではないのか?

 

 
 

 

アジアの国々は日本の近現代史における戦争を称賛し、そして感謝しているのである…
インパール作戦は戦後、日本陸軍の愚策の一つとしてつねに批判にさらされてきた。だがこの作戦の本質は、日本軍約7万8千名とインド国民軍約2万名の日印連合軍による“対英インド独立戦争”であり、この作戦があればこそ戦後インドは独立できたのである。事実インドではインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、「対英独立戦争」として位置付けられているのだ。そうなると日本軍はインド独立を支援した解放軍となり、したがってインド人は“日本が侵略戦争をした”などという歴史観をもっていない。

インド解放のためにイギリス軍と戦った日本軍将兵に対して、インド国民軍全国在郷軍人会代表で元インド国民軍S・S・ヤダバ大尉は、1998年1月20日にこう記している。
《われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表します。インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまで決して忘れません。我々はこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます》(靖国神社)

また日英両軍の大激戦地の一つであったマニプール州ロトパチン村のモヘンドロ・シンハ村長はこう語っている。
《日本の兵隊さんは飢えの中でも実に勇敢に戦いました。そしてこの村のあちこちで壮烈な戦死を遂げていきました。この勇ましい行動のすべては、みんなインド独立のための戦いだったのです。私たちはいつまでもこの壮絶な記憶を若い世代に残していこうと思っています。そのためここに兵隊さんへのお礼と供養のため慰霊塔を建て、独立インドのシンボルとしたのです》 (『自由アジアの栄光』)

インド最高裁弁護士のP・N・レキ氏は次のような言葉を残している。《太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない》

インドではかの東條英機元首相が感謝されているのだ。平成18年3月19日、カルカッタ(現在のコルカタ)のチャンドラ・ボース記念館で「東條英機に感謝をする夕べ」が催された。そこには、館長であるチャンドラ・ボースの甥の嫁クリシュナ・ボース氏に招待された東條首相の孫娘・東條由布子氏の姿があった。

かつてマレーシア航空の機内誌『GOING PLACES』には次のような記述があった。
「日本のイギリスに対する勝利は、長くヨーロッパの植民地であり続けたアジア人の意識の中にあったヨーロッパ列強諸国の無敵神話を見事に粉砕したのである…」(原文は英語)

大東亜戦争で180万人もの人々が亡くなったことで、日本への敵意はどこの国よりも強いだろうと思われがちなフィリピンでも日本軍は尊敬されていた。平成12年10月25日、日本の神風特攻隊が誕生したフィリピンのマバラカットで、なんとその神風特攻隊の慰霊祭が挙行されたのである。

そしてこの式典に参加していたダニエル・ディゾン画伯は、なんとフィリピン・カミカゼ記念協会の会長だった。ディゾン画伯は語る。「私は、ヨーロッパ、アメリカ、中国、フィリピンの歴史をさざまな角度から検証してみました。その結果、なぜ日本が立ち上がり、戦争に打って出たのかがよくわかったのです。そして日本が、欧米列強の植民地支配に甘んじていたアジアを叱責した理由も理解できたのです」

向き直った画伯は右手に拳をつくって語気を強めた。「当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の“抵抗”だったといえましょう」

さらにこの同じ日、バンバン村でも慰霊祭が催されたのだが、このとき参加していた地元のサンロック高校の女子高校生らに神風について意見を求めたところ、彼女たちは満面の笑みで日本の神風特別攻撃隊を“ヒーロー”と称えていたのだ。そして引率教員はこう話してくれた。「こうした歴史教育を通じて、子供たちに国を守ることの大切さを知ってほしいのです」
《井上和彦 Voice2014/4月号》