"But of course we can talk,
my dear. It there's anything worth talking to."
「だけど私たち花は話せるのよ。話す値打ちのある人がいればね。」
不思議の国のアリスの中での会話。
相手が話す値打ちのある人でなければ、話す必要もない。
相手が話す値打ちのある人でなければ、話しかける必要もない。
そういう意味だろう。
コンサルタントという仕事を生業にしている僕にとって、
正直、相手が話す価値のある人かどうかは重要なPOINTにもなる。
話す価値のある人や話す内容を正確にとらえてくれると思える人、
或いは話す内容を正確にとらえてほしいと願える人と
話しても無駄だと思える人には明確な差がどうしても生じる。
コンサルタントは慈善事業ではない。
解決すべき問題に向き合う上で
必ずクリアしなくてはならない最低限の課題点がある以上、
誰かれ構わず、コンサルタント契約を結ぶことはできなくなる。
やはり、契約を結ぶからには色々な判断基準が出てくる。
話す価値というのも判断基準の中で大きな要素ともなってくるのだ。
だが、他方で僕はカウンセラーという意味合いも持つ。
そして僕自身はカウンセラーにおいて、
話す価値云々という価値基準は持ってはならない、
或いは持つべきものではないと思う。
相手の心情に寄り添う。
寄り添い方もそれぞれではあるが、
寄り添う時には自身の価値観や判断基準は
寄り添うという行動そのものの阻害要因となる。
自分自身のこれまでの経験則等から導かれる価値観や
判断基準でモノを見る事と
相手の気持ちに寄り添うという部分は
往々にして、相容れない事が多いからだ。
例えば、ニート。
僕個人の意見としてみれば、
ニートのご両親からお金をいただいて、
ニート状態を改善してくれ!と言われても
恐らく首を縦には振らないだろう。
世の中には仕事があふれている。
選ばない限りは様々な仕事がある。
そんな中で仕事をしていないという個人的思考は
ほとんどの場合、
申し訳ないが甘えている部分を僕は感じるからだ。
大きな夢を持ってのニートも結構だし、
社会の歯車になりたくないという思いも結構だが、
その行きつき先を考えてみれば、
おのずと歩みだそうという姿勢がない者に
どんな道筋を用意したところで、
何も変わらないと思うからだ。
だが、カウンセラーの視点から見れば、
彼が大きな夢を持ってのニートになろうとした事や、
社会の歯車になりたくないという思いを抱いた理由を
彼との話の中で見出し、
そんな会話の中で自らの力で歩みだす方法を
彼自身が模索して行く事を願う事になる。
これがすこぶる難しい。