*今日は写真がありません。
やっと年度末となり、全力で疾走し、ここまでたどり着きました(笑)
たまったメールを見ていましたら、思いがけない素敵なプレゼントがありました。
以前「やましたひでこ断捨離塾」に投稿した質問に、メールマガジンで回答をいただいていたのです。
感激しました。少し泣いてしまいました。
これからの私の励みにしたいと思いますのでこちらにUPしておきます。
本当にありがとうございました。
たまったメールを見ていましたら、思いがけない素敵なプレゼントがありました。
以前「やましたひでこ断捨離塾」に投稿した質問に、メールマガジンで回答をいただいていたのです。
感激しました。少し泣いてしまいました。
これからの私の励みにしたいと思いますのでこちらにUPしておきます。
本当にありがとうございました。
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「やましたひでこ断捨離塾」通信
「やましたひでこ断捨離塾」通信
2016・3・24 No.6
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ごきげんさまです。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◇◆
断捨離事務局の青野です。
今週は、「思い出のあるモノ」が
捨てられない、というmsさんからの質問です。今週は、「思い出のあるモノ」が
不要なものはどんどん捨てられても、
どうしても踏ん切りがつかないモノ、ありますよね、、
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◆塾生Q&A
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Q:「思い出のあるモノ」が捨てられません。
断捨離を始めて4年目です。
断捨離塾にも参加し、音声の講座も
繰り返し聞いて感銘を受けています。━━━━━━━━━━━━━━━━
Q:「思い出のあるモノ」が捨てられません。
断捨離を始めて4年目です。
断捨離塾にも参加し、音声の講座も
私は好きなものが捨てられない
「過去執着型」だと思います。
以前参加した断捨離祭りでも、
山下先生に「思い出のあるものが
捨てられないのです」と申し上げたら山下先生に「思い出のあるものが
「でも今生きているでしょう」と
言われましたが。
不要なごみの類は随分処分できましたが、
服でも小物でもまだ踏ん切りの
つけられないものが沢山あります。
おまけにとっておける場所も服でも小物でもまだ踏ん切りの
つけられないものが沢山あります。
ふんだんにあります。
今日までずっと、産休と、1年未満の
育児休業を2回取った以外はずっと今日までずっと、産休と、1年未満の
仕事をしてきました。苦労して得た
収入で購入したモノを捨てたくない
気持ちもあるかもしれません。
すっきりしたい気持ちもありますが、
ここにきて立ち止まっています。
もう少し時間がたってからでも
良いでしょうか?
ここにきて立ち止まっています。
もう少し時間がたってからでも
良いでしょうか?
仕事が定年を迎えれば、不必要になる服や
書籍も沢山出てくると思います。また、
時間もできると思いますので、あと5年間
ですが、こんな状態でよいのでしょうか?
今できることがあったら教えてください。
【ms・50代・高校教諭】
―――――――――――――――――――――――――――――【ms・50代・高校教諭】
A:FROM やましたひでこ
msさん、ご質問有難うございます。たしかに、踏ん切りがなかなか
思うことがあるのです。
つけられないモノがあるものです。
たしかに、スッキリさせたい気持ちと
モノを惜しむ気持ちがせめぎあうことが
あるものです。
まして、それらのモノたちが、あるものです。
苦労して得た収入で手にいれたモノ
であるならば、尚更そうでしょう。
やましたは、時々、こんなふうにであるならば、尚更そうでしょう。
思うことがあるのです。
要らなくなったモノたちは、垢のようなモノ。
そして、垢とは、自然に剥がれ落ちて
いくことはなくこびり付いていくだけ。
だから、自分で垢落としを
しなくてはなりません。
ところが、踏ん切りがつかないモノたちは、カサブタのようなもの。そして、カサブタとは、
治癒がすすめば自然と剥がれ落ちていくもの。
もしも、カサブタを無理に剥がそうとしたら、かえって血が出たりしてしまう。
おわかりですね、msさんの踏ん切りが
つかないモノたちは、まさにカサブタ。
だから、ご自分でも言っておられるように、
今少し立ち止まって、もう少し時間が
たってからでもいいのではと、
やましたも感じます。たってからでもいいのではと、
それに、垢ともいえるモノたちは、
随分と処分、つまり、垢落としが
できているのですからね。
それでも、そのカサブタのついた傷、できているのですからね。
治癒を早めることもできるし、また、
残念なことに遅らせてしまうこともありえます。
msさん、やましたからの提案です。残念なことに遅らせてしまうこともありえます。
踏ん切りがつかないモノたちは、いったい、
あなた自身のどんな気持ちを代弁しているか、その声にしっかり耳を傾けてはいかがでしょう。
やましたは、その声に、治癒を早める
ヒントがあると思えてならないのです。
ずっと休まず仕事を続けてきたわたし。
苦労をして収入を得てきたわたし。
あと5年の定年までは自分の時間ができないわたし。
踏ん切りのつかないモノ、服や本は、
きっと、そんな声を上げている、そう、msさんの代わりにね。
そして、もし、その声をあげてくれる
証拠品がなくなってしまう…
モノたちを、今、処分してしまえば、
もう、自分のことを誰にも分ってもらえる証拠品がなくなってしまう…
そんな怖れがあるのではないかと、
やましたは思うのです。
やましたは思うのです。
もしも、そうであるならば、msさん、
見つめてあげることですね。
今のあなたがするべきことは、
モノを捨てようとすることではなく、
懸命に頑張って仕事をしてきた自分を
労わりの気持ちをもって見つめてあげることですね。
回りにいる人たち、家族や同僚や生徒たちが、
どのようにあなたを評価しているかは関係なく、
自分で自分の長い間の頑張りを認めてあげること。
誰に遠慮も憚ることなく、自分自身を
ねぎらい休め癒してあげること。
そうすれば、他者への「自分の頑張りの証拠品」誰に遠慮も憚ることなく、自分自身を
ねぎらい休め癒してあげること。
というカサブタの品々は、早晩、
要をなさなくなるかもしれませんよね。
どうでしょう。・・・そのとおりだと思います。
早速捨てられないものを見ながら自分の声を聞いてみたいと思います。
そして少し前に進めそうな気がします。
私にとって宝物のようなアドバイスでした。
早速捨てられないものを見ながら自分の声を聞いてみたいと思います。
そして少し前に進めそうな気がします。
私にとって宝物のようなアドバイスでした。