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【本ブログのテーマ分類】
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まさごんです。
家族紹介シリーズみたいになってきました。


こうなると訪問者最後の一人、姉のことも書いとこかと。年齢を言うと怒られそうですが、匿名なのでいいか。美魔女を目指すノーマル魔女、50歳です。私を泣かせた甥っ子達の母、子育ては卒業かな。

他家に嫁いだ身ではありますが、長男の私が不甲斐ないこともあり、私の実家のキーパーソンです。高校でバトン部の部長をやるなど、天然陽キャです。

まず父に強い。姉は一般企業やデパートのエレガ(バブルですね)で働いた後、父に頼まれて結婚するまで父の会社で働きました。

事業環境が厳しいのも、母より詳しかったはずです。結婚資金にしたい給料も出たり出なかったり、でも文句は強く言えない。父が毎日必死に銀行巡りをしているのを近くで見ているから。

ガラの良くないバイトをなだめすかして働かせて、父にはマンツーマンでガンガン意見して。父もなんだかんだで頼りにしていました。結婚を機に後釜(姉に似たチャキチャキ系のお姉さん)を見つけて引き継いでくれました。

私は学生の頃に、夏の郵便局で配達のバイトをしたことがあります。バイクが使えると友人に聞いて応募したのですが、実際は炎天下の中でまさかのチャリ。夜のバイトとの掛け持ちで体力が厳しく、父の会社がちょうど配達区間あたりにあったので、昼休みにエアコンが効いた部屋で休ませてもらっていました。

思いだしついでに書くと、このバイトで教育係をしてくれた社員のお兄さんが面白かった。二、三歳上の爽やか系の顔立ちでしたが、「俺はお前の大学の奴に彼女を取られた、お前も気に食わん」と本気か冗談か分からないノリで接してきて、割り当てられる荷物の量もべらぼうでした。砂利道を走ると、チャリが重みでパンクしたくらい。

とはいえ私もお金が必要でしたし、全然嫌な感じの人でもなかったので気にせず続けていました。それで数週間した頃だったかな。その人が「お前根性あるよ、マジで」と言って、冷たいジュースを差し入れてくれるようになりました。やっぱり優しい善い人でした。あってよかった鈍感力。嬉しかったな、懐かしいな。でも配達の割り当て量は変わらなかったな。そこはシビア。

話は戻り、父の会社にて。その時は姉は退職した後だったと思いますが、時々会社に顔出してました。当時は暇なのかなと思ってましたが、今にして思うと院政ひいてたな、あれは。陰の支配者です。ザ、フィクサーです。

「母とは気が合わん」とケロッと言っていますが、現在長期入院中の母の面倒を父と一緒に見てくれているのは姉です。在宅介護が無理と判断し、特養の申し込みや待機施設の手配をササッとやってくれています。

そして私には、優しいです。末っ子甘やかされてます。私が電話でがんのステージ4を姉に伝えたときは、いつもの調子でチャキチャキと現状確認を進められた後に「…………もぅ(泣悲怒)」と嘆かれました。ごめん。

唯一、親の葬式はアンタやりなよと昔から言われていましたが(長男なんで当たり前)、それも微妙な感じに。。まさかの「親と余命競争」。家系的にはかなり長生きなんですよね、他ではがんの話とかあまり聞かないし。伯父伯母も健在の方が多いです。まぁ、順番が入れ替わらないようには頑張りたいです。

姉が少し前にLINEグループを作りました。老いた両親に何かあったときに迅速に連絡が取れるようにと。メンバーは姉夫婦、甥っ子達、私と妻です。今は半分は私の体調報告ラインです(笑)。すまんすまん。めんごー。いつもありがとう。

ほんで、健康診断行ってよー。約束したよ。