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まさごんです。
過去記事の続きの形で父のことを書きます。
筆の向くままに書き進め、読み返すと父親自慢の文章ができていました。
父は昭和13年生まれの高齢者。九人兄妹の、多分三男。ちなみに母は六人兄妹の三女かな。私、いとこ何人いるんだろう。。10人くらいしか分からない。もっといるはずだな。
父はその昔自衛隊で鍛えた成果か、年齢の割に体は元気です。結婚を機に、家を留守にすることが多い海上自衛隊を辞め、自営業で長く家族を支えてくれました。
前回の話。父、姉、甥っ子達が会いに来てくれたとき。甥や姉とはたくさん話をできましたが、父とはあまり話せませんでした。私の病気が分かったときに、相当落ち込んでいたと姉から聞いていました。私と電話で話すときは元気な声で励ましてくれますが、やっぱり落ち込みますよね。
しかも父は息子の私から見ても、昔から超子煩悩。戦前生まれにしては珍しく、家庭を何より大切にすることを憚らない人でした。料理にもしばしば腕を振るって、家族を楽しませてくれる人でした。
父の父、私の祖父はそんな人ではなかったようなので、父がなぜそういう考えになったのかは分かりません。洋画好きだからかな。今度聞いてみよう。
素人ながら寿司を握ってお寿司やさんごっこをしてくれたり、家庭菜園をしたり、庭に子供が遊べるようにと小山を造ってみたり、庭木の剪定をみんなで一緒にしたり、自分が運転するセスナ機(体験飛行的なやつ)に子供を乗せてみたり、遊園地に行ったり。楽しい思い出がいっぱいあります。
寿司は何度もやったので、最後には相当上達していました。最初の頃は握ったシャリがすぐバラバラになるよー、って皆で笑っていたのに。
私も家庭を持ち、一度家族に寿司を握ってみました。いやいや、難しいよ。どうやってたの? 私が家族に下手くそな寿司を握ったことを知ると、父は嬉しそうにしていたそうです。
私も親なので分かります。息子が自分のことを真似していると嬉しいよね。庭木の剪定も真似してやってるよ(マンション一階なので)。家庭菜園もやるよ。セスナは無理だけど。父さんは目標です。
自営でやっていた商売は良いときもあれば厳しいときもあり、お金では少し苦労した時期もありましたが、私にとっては尊敬する最高の父です。苦しかった時期、大学院まで行きたいと私が言えば、悩むことなく賛成してくれました。白状すると、私の家庭人としての基礎は全て父の真似です。
父さんを見て、真似をしてきたから何となく分かる、今回あまり話そうとしなかった理由。それはきっと、涙を見られたくなかったから? 話すと涙が出てきそうだから。違うかな?
父さんが泣くのを見たのは、後にも先にも一回きり。俺が就職して、ちょっとは成長して、まがりなりにも父さんを少しだけ支えられたことがあった。
その数年後。俺の結婚式前日、上京してきた父母と三人きりで昔話をしたとき。「あのとき、お前が何も聞かずに助けてくれたのが嬉しかった」と言って、堰を切ったように男泣きした、あの夜だけ。なんだ、泣きざまもカッコいいな。
こんな愛する父に私の葬式を経験させるわけには、いかないです。頑張ろう俺。