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【本ブログのテーマ分類】
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まさごんです。

私には五歳上の姉がいます。そして姉には息子が二人。私にとっては甥です。今は22歳と20歳(じきに21歳)かな。年子の兄弟。しかも上の子には幼い頃、命に関わる持病もありました(今は手術で完治)。義兄は自営の仕事で死ぬほど忙しくする中、育てるのは大変だったろうなと、今は姉の苦労がよく分かります。そりゃ肝っ玉母ちゃんになるわと。

ちなみに義兄はとっても善い人。私ががんになったことを知るや、忙しい中で医療コンサルに相談できるよう手配してくれたり。自分の友達にも元気ながん患者がいっぱいいるよ、今は良い薬がいっぱいあるよ、大丈夫だよと励ましてくれたり。本当にありがたいです。

甥っ子達が小さい頃、それこそ今の私の息子達と同じくらいの年の頃。甥っ子達が可愛くて可愛くて仕方なく、就職先から帰省する度におもちゃを買って会いに行っていました。

そして色々なことをして一緒に遊びました。相撲をしたり、追いかけっこをしたり。彼らがDSに目覚めてからは、叔父の優先順位がポケモンの下になってしまいましたが(笑)。

そんな甥っ子たち、兄は飲食業、弟は大学で忙しくしています。私のがんが発覚したとき、私は故郷に残した両親、姉、甥っ子たちに会いたくて仕方なかった。会いたいなぁと姉にこぼしていました。

でもコロナ禍の最中、年老いた親や皆に遥々来てもらうのも、病床の自分が帰るのも無理だと諦めていました。

そんな中、私の想いを聞いた甥っ子二人が上京を企画して、旅慣れない姉と父を引っ張って会いに来てくれたのです(母は体調不良で入院中)。「会おうとする気持ちが大事なんじゃ!」と言って。嬉しかった。

新幹線で三時間、コロナを気にして何とグリーン車です。これは義兄が手配してくれました。新幹線を降りてからは電車を避けて、レンタカーでうちのマンションまで一時間。私が膵炎の入院から退院した日に来てくれました。

早朝出発だったのに、お兄ちゃんは自分が働く店で出発前にアイスを何種類も手作りして持参してくれて。弟は人生がかかった就職活動で時間がない中、無理やり時間を作って来てくれて。

二人がレンタカーから降りて「おじちゃん、来たよー」って、のんびりした声をかけてくれた瞬間に涙が出ました。見た目はイマドキな感じになったけど、真っ直ぐさはあの頃とおんなじだとすぐ伝わりました。

色々昔話をしては、何回も泣いてしまいました。「おじちゃん、すぐ泣くがぁー(笑)」と笑われる始末。でも、彼らが真っ直ぐ成長して、頼れる大人になって、私のために会いに来てくれたのが本当に嬉しかったんです。

「こっち(地元)は心配せんでええけぇー。俺らが何とかするけぇ。」なんていっちょ前に言ってくれたり。「俺、ラッキーマンなんよ。じゃけー、おじちゃんも大丈夫!」って根拠不明ながら励ましてくれたり。これを書いてても涙が出てきます。ほんと、甥っ子達には何回も泣かされました。ありがとう。

うちのマンションで私の息子二人と遊んでくれました。私が昔、彼らと遊んだ光景とそっくりです。相撲したり、レゴで遊んだり。少しは甥っ子達の記憶にも残ってるのかな。

思えば私が昔甥っ子達と遊んだやり方も、私が父に遊んでもらったときの記憶がベースです。父のやり方が、私を通して少しは甥っ子達に伝わっているのかと思うと、何だか温かい気持ちになります。

そんな父のことを次に書こうかな。筆の向くままに続く。