6月18日(金) 夜のうちから雨が降りだしていた朝。



水曜日は病院で一晩を過ごしたそらさんだったけど、妊婦は二日続けて徹夜をしちゃいかんだろと、お義母さん妹の叔母さんに病院番をお任せして、そら家実家に帰って寝た。



僕にとっちゃ約2年ぶりのそら家実家。 




あの時はお付き合いしていたとはいえ、結婚だの子供だのは全く頭になくて、なんなら付き合っていることすらお義母さんには言わず横浜に帰っていた。



結婚して子供もできて、堂々と敷居を跨ぐべきそらさんの実家なんだけれども、家主のお義母さんがいない実家というのは当たり前だけど初めてで、当たり前だけど変な感じがした。



変な感じをそのまんま正直に書くと、


シャンプーやら歯みがき粉やら洗濯の洗剤やらは、そら家実家のものを使わせてもらうのだけれども、家のモノ全部は、独り暮らしをしていたお義母さんの使いかけだ。


5月の連休明けに入院をしてそのまんま、飲みかけのペットボトル茶とかもダイニングに残っていたりもした。



滞在中、備え付けの洗剤とかが切れたりしたので収納の中を探すと、全部のモノの予備がキッチリ用意してあって、几帳面な面影がかいま見えると共に、お義母さんはきっと予備まで全部使うつもりだったんだろうな、って思うと複雑だ。



それでも、2年前の愛媛マラソン後に1度しか会ってなくて、その時もゲンさんと一緒にほとんど外に遊びに出てたので、お義母さんがどんな人なのかを分かるほど会話は多く出来なかったんだけれども、住んでいた家を使わせて頂くことで、少し身近になった気がしたのだった。









病院にいるお姉さんから知らせがあったのは、朝ごはんを食べてこれから病院に向かおうと準備をしていた時で、脈拍が止まったのですぐ来るように、と。



そらさんは少し慌てた感じにはなったけど、そうなると思ってたようなところも少しあって、「18年前にお父さんが亡くなったときも、雨の日の朝に病院にいく準備をしていた時だったんだよなあ!」と言いつつ、車で5分の病院にむけて発進させた。



病院に着くと、僕は院内には入れない身分なので敷地内にあるスターバックスコーヒーで、そらさん達親族が出てくるのを気長に待つ。


しかしそらさんはすぐに出て来て、お義母さんが家に帰るときに着せ替える寝巻きを取りに帰りにまた家に帰り、病院に持って行ったりもした。



持ってきた寝巻きを、病院のスタッフの方に預けて、お姉さん叔母さんと、駆け付けてくれたそらさんの従兄弟や姪っ子と一緒に、再び車で5分の実家に戻り、みんなでお義母さんの帰りを待っていた。



そら家の実家はたぶん、お婆世代から孫世代まで、3世帯が住むことを考慮して作られた田舎の家であり、お義母さんが独りで暮らすには広大過ぎるおうちなんだけど、お義母さんがいつか帰るときの為にかは充分すぎるほど自ら綺麗に掃除してくださっており。


だからお義母さんの最期の帰宅を前に、そらさんが帰れない間ずっと看病を続けて下さっていたお姉さんと叔母さんを初め、続々と親族の方が集まってきたのだけれども、自らを含めた親族みんなを迎えてもすっぽりそのまんま入るような空間になっていたので、僕は会う親族の人々、だれがだれだか顔と名前が一致しない状態になりつつも、いざお義母さんが葬儀会社の車に乗せられてご帰宅なさった際には「おかえりなさい」と親族の方々と一緒に落ち着いてお迎えができたのだ。



葬儀会社の方が喪主であるそらさんと明日あさっての通夜葬儀の打ち合わせをする傍ら、駆け付けて下さった菩提寺僧侶さんの枕経に立ち会い、正座で脚がしびれた。


んで、脚がしびれて枕経から立ち上がったその足で、そらさんと同級生の高商サッカー部OBのお調子者な従兄弟の方と、通夜前夜のお酒買い出しに出かけた。



お調子者な従兄弟の方、そらさんの前情報だと、マラソンを始めたそらさんに対抗して丸亀ハーフを元高商名門サッカー部の遺産走力でボテ腹抱えつつも100分切りに挑戦して敢えなく散った残念な方、と聞いていたのだけれども、歳が近いこともあってなんだかんだ今回の滞在で一番親しみやすい感じになったのであった。



つづける。

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