6月17日(木) 朝の横浜はよく晴れていた。
香川に帰省して1週間以上経つそらさんからの連絡で、お義母さんの血圧が低下していて今夜あたりが峠、ということがつい前日分かったので、この日は香川へと飛ぶ夜の便を予約していた。
朝一で直属の上司と部の関係者に状況を連絡するとみんな、一刻も早く香川に駆けつけて奥さんを支えなさいと言ってくれた。
予算時期で会社的には最もやることが多くなる時期にも関わらずありがたい。
部の方々のおことばに甘え、大急ぎで仕事をやっつけて引き継ぎも半ばに、羽田空港に駆けつけて飛行機に乗る。
この時点でお義母さんはご存命ながらも、緊急事態宣言地域から来たばかりの身分には、いくら親族とはいえ病院からの面会許可は下りない。
つまり、今度僕がお義母さんと会うときは……。
まあ、それは予め分かっていた事だし仕方がないと思って「そらさんとお腹の子のことをこれからも宜しくお願いします」という趣旨の手紙を書いていたのだった。
まだ意識のある月曜日のうちにお姉さんから病室で渡して読んでもらって、お義母さんが何度も頷いて下さっていたということを聞けていたので、僕が会えないことはさほど問題ではなかった。
問題は、居ても立ってもいられずに前の週香川に入ったそらさんが、実の母親と最期に会えないことだったのだけれども、やっぱりこの時書いてた みたいに、行動してよかったねえ。
そらさんの執念が実って、病院から特別に面会の許可が出たのが前日水曜日の夜でした。
目が開くことはなかったみたいだけど、瞼の裏で動いているのが分かったみたいで、きっと声も届いていたんだろうなっ。
これを機に味を占めてわが家の家訓的なやつは「行動あるべし」ってな方向に流れていくことでしょう。??
6月17日木曜日は、僕が香川に入ったってこと以外は特に動きがなく、流れていきました。
つづく