愛媛マラソンにエントリーしてから、
明治初期の松山が舞台になる
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を見ていた。
「坂の上の雲」は毎回、
こんなナレーションからはじまる。
まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
(中略)
社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
(中略)
四国は伊予の松山に、三人の男(秋山真之、秋山好古、正岡子規)がいた。
彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。
世界のどういう国のどういう国のどういう家の子でも、
ある一定の資格をえるために必要な体力と根気さえあれば、
国際レースに出たり代表選手になれるってのがマラソンだと。
坂の上の雲に無理やりリンクさせるレーススタート前。

まあ、愛媛マラソン当日は、
坂の上に雲なんぞひとっつもなかったんですけどね!
DNFの予感がプンプンするぇ……
当日朝は10:00のレーススタートに合わせて、
4時間前までには起きねばと5時台に起床。
ほんとうであれば起きた瞬間に朝ご飯を取った方が、
良かったタイミングかもしれない。
けれども、ふくらはぎのご機嫌次第で、
途中でやめると決めていたレースだったものだから、
7:00から利用できるホテルの朝食バイキングが開くのを待って朝食。
食べた後でトイレを済ませ、
キャリーバッグをフロントに預かってもらって、
7:30にホテルチェックアウト。
路面電車で会場に向かい、
集合場所に着いたのが7:50くらいだったか。
一番乗りだったけれどもすぐに人が集まってきて、
南海テレビもやってきて、イツカさん、turuさん、そらさんと、
4人でインタビューを受けた。
インタビューの最後にはたぁ坊さん、
しかぱぱさんもどドサクサで映りこんできたけど、
VTRは採用されたのかな?
どなたか地元の方で放送をお見掛けしていたら教えてくださいませ!
8:00の集合とともに、東洋のマチュピチュ?
東平の坂をホームコースにする、
お山練チームとアメブロチームが合同で写真を撮った。
で、集合写真後は前泊組はいったんホテルに戻っている人が多かったかな。
次回参加する時は会場まで歩いて来れる位置のホテルを取ろうと思う。
ホテルに戻るわけにもいかないので会場をプラプラして時間を潰す。
荷物預け場所のまわりの芝生に陣取っていたら、
えむさんの応援に来たサトさんに遭い、
写真を撮ってもらう。
スタートまで1時間を切ったくらいで荷物を預け、スタート整列に向かったが、まだまだ並んでいる人は少ない。
スタートブロック脇のトイレに並んで戻ったのが
スタートの30分くらい前だけど、
ブロックの真ん中くらいには並べた。
エントリー時、「ぼぉくは、こぉんくらいではしれまーす!」
と申告したタイムが、かなり過大だったようで、
胸に付けたゼッケンはAブロック。
けれども、
ブロックを下げる分には係の人から何も言われないようで、
そらさんと一緒のBブロックに並ぶことにした。
「どれくらい(のタイム)で走ろうかなー」
ではなくて、
「どこまで(距離を)走ろうかなー」
という方が頭に浮かんできたレース前だったけれども、
噂に聞く愛媛の熱烈な沿道の声援を、
「どこまで楽しめるかなー」
というのが、一番頭に浮かんできたレース前でもあったかなあ。
(短い)レース本編とその後へと続く……
写真


「さむいー!」の一声で防寒具にされたリラックマは、
スタート前までに無事もどってきていた笑