こんなこと
ここで書くべきか悩んだけど

やっぱり書きたいと思ったので
書かせてもらいます

いつも以上に
独り言なので
読まないで頂いて構いません

覗いてくれた方に
先に謝っておきたいと思います

すいません

9/16母が急逝しました

今日このブログは
母のことを語ります

母は昭和15年2月
東京の亀井戸で
六人兄弟姉妹の第二子で長女として産まれました
東京での生活はほとんど記憶していないと思います
五歳頃に新潟の半蔵金に疎開したためです
新潟中越地震の被害が酷かった山古志村の近くの山の中
そこにカッコだけの小屋を建て住んでいたそうです

疎開してすぐ
長岡の親戚が訪ねてきた晩に
長岡大空襲を山の上から見ていたそうです

そして終戦後
家族でこの三笠に移り住み
15で中学を卒業するまで暮らしていました

子供の頃の母は
長女として祖母を助け
下の妹弟、近所の子供たちに服や人形を作ってあげ
自分のことは後回しだったそうです

中学を卒業してからは東京に戻り
理容室に住み込みで働きながら学校に通いました
国家試験ではたった一つのミスで満点を逃しはしましたが
その理容室では一番長く働き
いわゆるや○ざとか小さい子供とか
大切なお客様を任されるような
優秀な理容師として働いていたそうです

30を過ぎて北海道に戻り
自分の店を持つことが出来ましたが
半年ほどで
家族の居る三笠に戻り
三笠でも理容師をしていました
その後父と見合い結婚をし
37で兄を40で俺を産んでくれました

母は決して美人というわけではありませんでしたが
東京での生活の間
何人もの立派な男性から求婚されていたと聞いています
ただ自分なんかにはもったいないと断り続けていたそうです

俺達が小さい時も理容師を続けていた母は
仕事に家事にととにかく忙しくしていた思い出があります
母が帰ってこないと泣いて兄を困らせたこともありました

寝つけない日には
母が創作した幾つもの物語を話してくれました
詩吟で吉田鳳凰という名取だった準師範で
歌の上手だった母はよく歌ってくれました
母の歌う月の砂漠が大好きでした

歳を取ってから生んだ俺達兄弟を
本当に愛して育ててくれました

俺に野球やサッカーや
BASSもGuitarも
やりたいことは生活が苦しい中でやり繰りして
やらせてくれた

そんな母が10年位前に脳梗塞で倒れました
言語障害と左半身の麻痺
母は強い人だったので
言葉も喋れるようになり
杖なしでも歩くことができるようになり
ハサミも持てるくらいまで回復しました

その後に俺は結婚をし
子供が産まれ
母に孫をだかせてやる事もでき
ランドセルを背負った姿も見せてやることは出来ましたが
ぼんずが小学校に上がる一年ほど前に父が亡くなり
昨年三回忌も終わり
一段落したねと
言っていた矢先

今年の6月にまた脳梗塞で倒れました
症状は同じ
それでもリハビリと薬と点滴で
前ほどではないけど回復しました

兄と母は同居していましたが
今後の将来の生活を考えて
施設に入った方がいいだろうと
医師と話し

8月に地元の病院で待機入院
9/9地元の介護施設に入所し
一週間後
これからリハビリなどの予定を立てようとしていた矢先
入浴中に意識を失いそのまま帰らぬ人となりました
74歳でした

俺が今
妻子にも恵まれ
素敵な友人、仲間に囲まれて
夢を追うことができるのは
母のお陰です

ryoとダイスケとzestを組んだ時も
嬉しそうに笑ってた母さん
ダイスケが脱退してちょっと寂しそうだった母さん
shunを入れてExhaust noteを始めたと言ったら
また嬉しそうに話を聞いてくれてた母さん
大好きなCRAZEのカバーをSTAY A BOYで演るって言ったら嬉しそうに笑ってくれた母さん
Lizard's tailやBordeaux
vezとの対バンが決まったときに
泣いて喜んでくれた母さん
母さんが分かるはずもない
RODさんやEBYさんや成一師匠との事を話した時
本当に楽しそうに聞いてくれた母さん
Sing more treatsの歌を素敵だねって言ってくれた母さん

その母さんが死にました

何もしてやれなかった
悔やんでも悔やみきれない

ありがとうもごめんねも
言わせてもらえなかった
死に目に会うこともできなかった

こんな子供でごめんなさい
一杯心配させてごめんなさい
迷惑ばかりかけてごめんなさい

愛してくれてありがとう
育ててくれてありがとう
産んでくれてありがとう

俺らがそっちに行くまで
しばらく待たせる
ごめんね

でもそっちに行く時は
胸張って行けるようにするよ

大好きな母さん
ありがとう

最後まで読んでくれた人がいたなら
ありがとうございます
本当にただの独り言
でもここに
母さんの事を書かせてもらいました
もう直接は言えないからっていうのと

俺の母さんはこんなにも凄い人だったんだって
誰かに聞いて
知っていて欲しかったから

いつも自分を後回しにして
自分を卑下していた母さん

俺の自慢の母さんの
俺が知ってることを少ししか書けなかったけど
読んでくれた人がいたなら

ありがとうございます。