久しぶりに開いたらログインできなくて焦るという。
適当に打ったらIDもPASSもあっていたという奇跡(笑)。
過去の『思い出』っていう記事が今の自分とぴったりで自分の文で救われた。
その場の思い付きでただつらつら書いてるだけでも意味はあるね。
今は、まあ、またこの時期かという感じ。
未来に絶望してみるけれど、じゃあ、未来に何を望んでいたの?
ことごとく、昔思い描いた自分とはかけ離れて行っていて、もう諦めているはずなのに、やっぱり生きている以上、求めてしまうよ。
死んだように生きても、しょうがないじゃない。
毎日毎日泣いて泣いて泣いて泣いて、そりゃ頭おかしくなるよ。
誰かに助けてって言いたいけど、その人のキャパシティーとか、状況とか、考えずにはいられないよ。
それでその誰かを困らせるくらいなら、一人で壊れた方がましなんだ。
それくらい、困惑した顔を見るのはつらい。
それに弱さを見せたら、弱いことになりそうで。
まだ平気である余地を残しておきたいの。
弱さを見せないことが強いわけじゃない
って中島美嘉の歌詞にあるけど、弱さを見せることで弱ってしまう。
弱いことを認めてしまう。
うーーん、うまく言えない。
そもそも「弱っている」ことを、「弱い」と結びつけることが間違っているの。
いま泣いているあの子も、弱いからじゃないよ、弱っているだけなの。
君は弱いから、強くなれ、なんて、言葉の暴力だ。
弱っているあの子に、「大丈夫。僕がついてるから、思い切り弱ってても大丈夫。」
そんな風に言えたら、きっと嬉しい。
嬉しくて力がでる。力が出るから、強くなる。
そんな誰かを、今日もシーツを握りしめて待っている。
そのシーツごと抱きしめられる人になりたい。
今は、泣いている私を、待っている私を、抱きしめられる私になりたい。