この間ギター二つを部屋から片付けた。



そこにあった物がなくなって、部屋は広くなったのに、心は狭く痛んだ気がして、戸惑った。



学校が疲れるのは関わる人が多くて、その関わっただけの人の心が見えるから何だと気付いた。

苦手な人は非言語があまり変わらない人。

読めないから。



好きで読んでる訳じゃないんだけど、“敵意はありませんよ”くらいはみえないと、怖くて話せない。



見えるからその心に沿って対応するから疲れる。

当たり前だなぁ。と、思う。




ブログタイトルと正反対のタイトルをつけてしまった。


悲観してはいけないのに。