空だった。

そら ではなく、からっぽの から。

私のための5分が空白になった。
誰も振り向かない、誰も気付かない、誰の心も動かない、そんな時間だった。
私自身が振り向き、気付き、心を動かすことが出来なかった。

スポットライトを浴びる前から、全て決まっていた。

私はいなくて良かっただろう。
体調もあってか、心が負けた。
ああ、違うな。
私の居るべき所ではない。
そんな風に思った。
ただ見ているだけだった。

結果を聞いたとき、それは納得のいくものだった。
だからこそ悔しかった。
何故あの5分間、私は心を失ってしまったのだろう。
そこに泣いた。

悔しくて悲しくて自分がわからなくて必死で答えを探した。
心をえぐってえぐって、何とか見つけたものが上に書いたことだが、何だか今でもぼんやりしている。


レベルが違う。
私が彼女たちのようになるにも、少なくとも彼女たちがそうしてきた時間と気力と体力とお金が必要だろう。

でも、だけど、私はそれだけの信念を持てない。
それは悪いことでも何でもなく、比率の問題だから、自分を責めることはしない。

けれど、これで終わりにしてもいいのだろうか。

考えるが、やはり私と彼女たちの歌への姿勢は何かが違う。

『自己表現の方法のひとつ』

失礼だな、全く。(苦笑)


こうしてまた私も空になるのか。
空になるのならば、何を入れよう。

けれど、私にあくのは穴でしかないのではないか。
“早く埋めないと、なくなっちゃうよ。”

こうしてまた追い詰められていく。

違う、悲しいものにしてはいけない。
必ず昇華させなくては。

今は目の前だけを見て夏休みに入ったら、ゆっくり考えよう。
人と話して、ちゃんと笑って、心と身体を動かして。

それまでは少し、休憩。
ああ、何て情けない最善策。