おととい来やがれ! -46ページ目

2011→2012

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

えらいもんで、すっかりブログの更新をご無沙汰してて、気が付けば年が明けてしまっていた。まぁ俺の日常なんてツイッターで呟くくらいで丁度いいボリュームってことやね。

昔、鴻上尚史氏のエッセイで「江戸時代の人たちは“七味五悦三会”と称して1年を振り返っていた」みたいなのを読んだことがある。「七味五悦三会(しちみごえつさんえ)」とは、その年に出会ったり体験した「七つの美味しいもの」「五つの悦ばしい出来事」「三人の素晴らしい人」を思い起こしながら、それぞれの1年を語り合うという年の瀬の行事。らしい。

以前、バーベルで上京した年に、メンバー(ともう一人、フ○スケっていう友達)で集まって、鍋をつつきながら実際この「七味五悦三会」をやってみた。そのトークを録音してワンマンライブで無料配布するための企画だったが、かなり盛り上がった。ホンマは忘年会のタイミングでやるもんなんやろうけど、みんないっぺんやってみたらええと思うわ。

まぁ七味五悦三会とまではいかないが、昨年を振り返ってみると、個人的にはかなり激動の1年だった気がする。

年の初めに、3年間活動を休止していたバーベルの復活ライブが決まった。同時に、1994年に結成されたバーベルの解散ライブになる事も決まった。春に転職する事も決まった。
前の会社での勤務がカウントダウンに入った頃、東日本大震災が発生した。職場もかなりのダメージを受け、みんなで力を合わせて行った復旧作業が、最後の大きな思い出になってしまった。
震災や原発事故の余波で日本がまだ浮き足立ってる中、新しい仕事が始まった。訳あって今まで全く馴染みの無かった世界に飛び込む事になり、右も左も分からず、久々にガチでうろたえた(笑)。まぁ正直、今もまだ不安や心許なさしかないが・・・。
そんなこんなで夏になり、バーベルのスタジオリハが始まった。久々の大音量のスタジオはスゴくエネルギッシュで、そんなに回数は重ねてないが、毎回楽しくて仕方なかった。俺のロックはやっぱりここから始まって、ここにあるんやなぁ。と、月並みだがそんな気持ちやった。
バーベル最後のライブに関しては過去のブログの通りだが、実はもう一つ、このライブで俺にとって特別な出来事があった。母親が初めて俺のライブを観に来たのだ。

2006年の秋に父が他界するまで、母はずっと弱った父親に付きっきりだった。俺が小5の時に父が発病してからやから約20年、父が一人で立ったり座ったりが難しくなった最後の10年くらいは特に付きっきりだった。そんな状況もあり、なかなか母がライブを観る機会はなかったし、多分興味もなかったと思う(笑)。
家族がそんな大変な状況の中、末っ子の長男は就活もせずバンドに精を出し、挙げ句の果てには上京するんやから、今にして思えば酷い話やな、ホンマ(笑)。かといって俺と母親・父親の関係は悪くもなく、ツアーで大阪に戻った際には他のメンバーも連れて実家で泊まってたし、知らん間にメンバーとも仲良くなってた。
父の他界後に一度、いつも世話になってたライブハウスの企画で地元岸和田の結婚式場でライブイベントをする事があった。その時は観に来てくれたが、音響・照明的にもロケーション的にもおおよそ「ライブ」って感じではなかった。
そんなわけで、俺らのちゃんとしたライブを母親が初めて観ることになった。
「関係者席で見てる母に向けて」とか「感謝の気持ちを歌に込めて」みたいなのは全く無かった。ただ、終演後のバックステージで歴代メンバーとの再会にはしゃぐ母の姿はスゴく楽しそうで、それは単純に嬉しかったし印象深かった。かけた迷惑は計り知れんが、母とメンバーの間にこういう空気があるってだけでも、やってきた事は間違いやなかったと思える。帰り際に「おもろかったわ」と声をかけられたが、きっと本心やと思う。

ちょっと脱線したが、その後もキバさんの誕生日イベントでライブさせてもらったり、仕事でバタバタしたり、子供に振り回されたり、そんな中にも出会いや再会があったり、俺の2011年は、アッと言う間とまではいかないまでも、それなりのスピードで過ぎ去った。

2012年はこれをやろう!みたいなのは全くないが(しいて言うなら、ブログの更新がんばろう!かな 苦)、何にせよ、それなりに内容のある1年にしたいなぁ。

今年も頑張ろう!