介護施設で夜勤を始めて、もう10年近くになる。

 

夜に出勤すると5~10人くらいのお年寄りが眠っている。
仕事内容は、下のお世話。安否確認。
朝になると着替えを手伝い、朝食を作り、薬を出し、布団を畳み、書類を書く。
かれこれ100人以上のお年寄りに出会ってきた。

 

そのほとんどが、認知症の方である。

 

認知症と聞くと、大変そうな仕事だねー、えらいねー、
といやに褒めてもらわれがちだが、実をいうと自分は認知症の方と接することに、
それほど大変とも感じてなく、そら大変な時もあるんだけども、大変ってジャンルとはまた違い、なんというか、なんだろう。
介護というと、ストレスがすごくて大変系の仕事と思われてたりするのだが、なんというか、
すごい語弊のある言い方をしてしまうと、

 

認知症の人というのは、もうなんか、面白い。

 

認知症に面白いとはなにごとか!!?
れっきとした病気ですよ!倫理的にどうかと思う!
と激怒するインターネットの人たちがいそうだけども、これはあくまで実感であり、そんなんいわれても困るのでブロックするっきゃない。
これは現場の声なのである。
「ボケる」って言葉が、お笑い用語としての意味と、お年寄の認知症を表す意味とあるのが、それを象徴しているのではないか? と思ったりなんかしたりする。
〇〇さんがこんなんしてさー、こんなん言ってさー
と談笑の種になるのは介護現場の日常風景であり、
その大変っぷりを、ともすればストレスになりがちなものを、笑っちゃうんだけど的なベクトルに変換することを介護職の方は知らず知らずしてる気がしている。
このブログでもそんな談笑の種――介護施設の日常をぽつぽつ書いてみたい。

 

最初に自分が、介護の洗礼? 
というかThis is認知症。
というような体験をしたのは、研修期間が済んでようやく一人で夜勤を任されることになったばかりの時である。

 

深夜2時ごろだったか。自分は机でパソコンに向かって事務作業をしており、カチャカチャやってるとなにか背後に気配がした。
反射的に振り返ると、そこにはキヨさん(仮)というお婆さんがぼうっとに立っていた。

 

「ああぁぁ」

 

と自分はランジャタイ伊藤くんみたいな奇声をあげて椅子からずり落ちた。
みんな眠っているため室内はかなり薄暗い。今となっちゃあ慣れたけども、はっきり言って、不意打ちで背後に人が立っている状況、特にそれが老婦である場合――正味めちゃくちゃ怖い。水曜日のダウンタウン。

 

「は。ひ。ど、どうしました? トイレっすか?」

 

キヨさんは普段とても物静かなお婆さんで、いつも朝まで熟睡している。
夜中に起きてくることは珍しい。

 


「猫」

 


「はい?」

 


「……猫がいるの」

 

むろん施設では猫など飼っていないし、だからといって猫が勝手に部屋に入ってくるなんてのも都心で、そうそうあるもんでもない。
なるほど。これは認知症の症状によくあると聞く、幻覚、だろうと察することができた。

 

「にゃーにゃー言ってるのずっと」「はぁ」「眠れないの」「猫がいる?」「猫がいるの」「じゃあ追っ払いましょう。どこにいるんです?」「こっち。にゃーにゃー言ってるほら」

 

利用者さんの安眠を提供するのが自分の仕事である。
幻の猫を追っ払ってやろう、と布団まで案内されると、キヨさんが「ほら、あそこ」といってやたら上を指さした。

エアコンと天井の隙間だった。

 

「……すごいところにいますね」

 

なんと身体能力の高い猫だろう。
しかしここで面白い人がやるように「ておるかあ、度阿呆」とノリツッコミするのは厳禁であり、認知症の方のいうことは否定してはならず『肯定せよ!』というのは先輩の教え。基本ノる方向でいかなければならない。

 

「しー! しっ! しっ! 猫この! 猫しー!」

 

自分はエアコンに向けて、手の平をひらひらと払った。

 

「あっちいったいった。逃げた逃げた」

 

とキヨさんが声をあげた。よかった。

利用者さんの安眠を提供するのが自分の仕事である。「じゃ、おやすみなさい」と振り返って行こうとするとキヨさんが呼び止めるように言った。

 

 

「イタチもいる」

 

 

「へ??」

 


「ほら襖のところ、そこ!そこほらほらそこ通った」

 

イタチってどんな動物だっけ屁ぇこくやつだっけ? とか思いつつ今はググっている場合ではないし自分はあくまでノる方向でいかなきゃいけないので

 

「こら! この! しっ! イタチぃしっ!」

 

エアイタチと格闘してみせていると、それをあんま見るわけでもなくキヨさんが続けざまに言った。

 


「お稲荷さんもいらした」

 


「………」

 


どんなけ動物がいるんだこの部屋は。

 


「ほらそこ」「おいなりさん……」「あー来た来た、いらした」「キツネすよね?」「ほらこんな時間にまあ」「キツネがいるんですね?キツネすよね?」「そこちょこんと座ってる」 

 

キツネの質問を無視されながら、自分は言った。

 

「ほらお稲荷さん。ダメですよ。あっちへ行ってください」

 

お稲荷さんに関してはちょっと敬ってる感のあるキヨさんを配慮しマイルドな追っ払いを体現した。

 

この時、自分にはほんのイタズラ心が湧いた。適当なところを指さしてこう言ってしまったのである。

 


「あ、馬もいますよ?」

 


キヨさんに挑戦状を叩きつけたわけだが、さてどんなリアクションが返ってくるんだ?と思う間もなく、まったく間髪入れぬ速さでキヨさんは答えた。

 


「あら、ほんとだ。馬」

 


いるんかい。

馬いるんかい。

 

キヨさんにはどういう感じで見えてるか知らんが、位置的に見て、馬はそこで寝ているお爺さんを踏んづけていることになっている。
「大きな馬だ、立派な馬」とか感心しているキヨさんにボルテージが上がってしまって自分はさらに調子にのった。
「あ、象がきましたよ! 象だ!」

 

 

「象はいないっ」

 

 

キヨさんが叫んだ。

 

「………」

 

急に突き放された気分になって自分は「象、いないっすかね……?」と悲しくつぶやいた。

 

「いないよそんなん。いないっ」

 

と言ってキヨさんはすたすたと布団に入った。

そのまま朝までキヨさんは起きてくることはなかった。

 

利用者さんの安眠を提供するのが自分の仕事である。