黒龍会と満鉄と古歩道
黒龍会と満鉄と古歩道
http://m-ken.blog.eonet.jp/weblog/2011/02/post-1ac3.html
戦前後に紅卍教と大本教の出口王仁三郎と黒龍会との関わりは有名である。
偶然だが、この少林寺の師範になると昔は少林寺の胸元の卍が赤にあるのです。
なにもご存知ない方はこのウサンクサイ秘密結社のようなものが実在するのか?と疑問に思われるでしょうが
しかし、この黒龍会は実在するのです。
そして満鉄とも関係があるのです。
満鉄とは当時の日本のスパイ最高機密機関であるのです。
そのことが草柳大蔵先生の実録満州鉄道調査部に記されている。
そして満鉄には、かつて少年期に私が修行した日本少林寺拳法の創始者の宗道臣が特務機関で日本の為に命をかけて任務にあたっていた。
これも不思議な縁だがオイラが少年期に四国の本山で宗道臣と右翼のドンと言われる笹川良一とのやり取りを直接この目で見た。
大物右翼はCIAの協力者であった。
処刑されたA級戦犯者の間の生死を分けた一線はなにだったのだろう?
答えは「秘密のファイル・CIAの対日工作」、著書 春名幹夫の著書のP257から明らかにされている。
その本によると児玉や笹川は戦後GHQからCIAの情報協力者として命の引き換えとして利用されたと秘密のファイルに明記されている。
アメリカ―CIAは、日本に対して何をしてきたのか。戦前・戦中の情報戦、占領期のキャノン機関、児玉誉士夫、笹川良一の活動など、昭和史の転換点には、つねにアメリカの情報工作があった。米国立公文書館に眠っていた膨大な機密書類の発掘とその分析、そして関係者多数の証言から、アメリカによる対日工作の実態を浮かび上がらせる。歴史上の疑問と疑惑に答える日米関係裏面史。
そして何百人といる四国の多度津の金剛禅総本山の日本少林寺拳法の有段者の試験に来ている拳士や参観父兄なのどの前で迎賓挨拶をしようとして、もたもたしている笹川良一に宗道臣は「笹川君はやく祝辞を述べたまえ」と恫喝したのです。
日本広しと言えどもあの右翼のドン笹川良一をクソミソに恫喝出来るのは宗道臣ぐらいと泉州尾崎道院の私の恩師マスター新保が言っていた。
僕が少年拳士の少林寺の修行で座禅で七分呼吸ををマスター新保から伝授してもらっている時に「七分呼吸とは一旦吸い込んだ息を丹田まで下ろして10分の内7分をゆっくりと吐きながら3分を残したまま再度、7分の息を吸い込み再び丹田に下ろす」と教えられて子供ながらにして、その丹田に下ろす方法が全く出来なった。
単純な僕はマスター新保に「新保先生!丹田に息を下ろすにはどうすれば出来るのですか?」と幾度なく質問した。
おそらくマスター新保は忘れていると思うが、僕はうまく丹田に下ろすことが出来ないで精神統一が出来ずに子供ながらに自分に納得できないでいた。この少年期の修行で僕は七分呼吸で息を丹田に下ろす方法を会得した。
この体験があるからスパ・リフレでサウナの中で瞑想して丹田呼吸をしたときに意識が共鳴したのだろう。
この時の様子は以前のブログでも書いている。
2008年1月9日 ... またM総合研究所を通じて自身が興味を持った参考文献の著書を何百冊と拝読して参りました。 .... 僕は少年期に日本少林寺拳法を習い、宗道臣から四国の少林寺本山で直接叱られて、笹川良一と宗道臣の関係を知った。
神坂新太郎の談話室
満州鉄道調査部には日本少林寺拳法の創始、宗道臣先生も調査員として隠密行動をされていたと聞いております。 また、私の過去に不思議なご縁で船井幸雄先生と最近、共同出版されている副島先生とも以前、M総合研究所で「経済安全保障問題」をネットで ...そして僕が、尊敬する少林寺の師範で5段の紀州白蓮の副道院長から宗道臣のことを酒席で伺ったが事実です。
このように僕はホントに不思議な縁と体験をしている。
スパ・リフレで少林寺で会得した瞑想法の七分呼吸で丹田に息を思いっきりため込んで瞑想していると突然、貨幣制度の虚しさが込み上げて来た。
その瞬間に小型UFOから脳が振動する「ギュルル・ギュルル・ギュルル」と言う異音を受けた。
僕はこのM総合研究所を通じて自分が体験してきた事実のことを魂の振動として真実を残して来た。
僕は、本当に偶然の上に偶然がかさなり、不思議な縁と不思議な体験がこのように数珠繋ぎなのです。
一生を国体と神道の護持に捧げていき、もし死んでも騒がれる事もないそうです。数少ない民間人として、彼らとパイプを持つ飛鳥昭雄氏によると、★「八咫烏」の人数は、数十人。中枢をになっているのは「十二烏」とよばれる12人であり、更にその上に「大烏」と呼ばれる人がいます。
大烏は、3人存在し3人で「金鵄」と呼ばれ、
「裏天皇」としての役割を担うといいます。
彼らは全員が「漢波羅」とよばれる迦波羅(カバラ)の達人で、陰陽師でもあります。
その正体はイスラエル12氏族の内、祭祀をつかさどっていたレビ族の末裔で、「賀茂氏」と呼ばれる「秦氏」の一派だといいます。
●●●●以上転記おわり●●●●
★八咫烏によると、物部氏は、徐福とともにやってきたとある。
その徐福の墓が和歌山県の新宮にある。
和歌山県新宮市の阿須賀神社にも徐福の宮が祀られている。
モルモン教徒の飛鳥昭雄氏の新刊では
この徐福こそが物部士族である言う。
失われたユダヤ人徐福:物部氏の謎
★崇神天皇のあたりから物部氏が天皇家の後ろ立てになっている。
物部氏はアジアの各地(シルクロード沿い)にイスラエルから日本に移住する拠点を築いていた。
★日本書記によると初代から4代までの天皇の後ろ盾は賀茂氏(八咫烏)がつとめていますが,(正室が賀茂氏から出ている)その後5代天皇からは尾張氏が引きつきそして崇神天皇のあたりから物部氏が天皇家の後ろ立てになっています。
★徐福伝説と物部氏の歴史を記した先代旧事本記を読めば分かるが調査では『徐福集団の多くは秦氏を名乗った』ようだ。
これもまたまた偶然なのです、オイラの住んでいる羽倉崎は物部氏の畿内地区で徐福の名前が地名に残されている大阪府阪南市では毎年10月10日に昔から豊作祈願を祈る地車(やぐら)祭りが行われるが、この宮本地区の青年団がなかった時に、その祭りの保存会を通じてこのやぐらを曳航して本宮祭では、豊作祈願を祈る為に「波太神社」に各地区のやぐらが宮入する。
その宮入の勇姿でそのやぐらが波太神社の階段を駆け上り、みごとその波太神社の本殿への階段を登りきった地区は、その年は豊作大漁に恵まれると言い伝えがある豊作祈願祭で大変迫力がある。
本当にこれもまたまた偶然なのですが、そのやぐらの波太神社の宮本地区の氏子総代の青年団を復活させた実行委員長を務めた過去がある。
伊勢音頭に隠された神聖ユダヤと古代日本の民の繋がり
リンク
このやぐらを曳航する時のはやし音頭があります。
それは、伊勢音頭なのです。
★不思議なのがその祭り音頭をユダヤ語に訳すと下記の意味なるのです。
-------------------------------------------------------------------ヤ-トコセー = お前たち、喜びなさい。主は敵を沈めた
ヨーイヤナー = 主は哀れみ深い
ハーリャーリャー = 主を賛美せよ
コレワイセー = 彼は呼び出し、救った
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この宮入する神社の名前が「波太」=「はた」と読みます。
僕は前々から「秦氏」ではないか?と感じていましたが・・