ラク~になる意識の持ち方として、「ジャッジしない」ことを、
気をつけてる。てか、そのつもりでいる。(無意識にジャッジしてることもあるかもしれん。私の意識内のことだから、誰も知らないかもだけど、宇宙にはばればれね。笑)
ジャッジとは、批判、判断、比較などなど。それを、しないこと。
他者にたいしてはもちろん。自分に対しても。起こってくるものごとに対しても。
ただし、していいジャッジと、しないほうがいいジャッジが、あると思ってて、
①していいジャッジ=感情や感想。ただ湧いている思い
なにかを責めているわけでなく、単に好みや、状況に対する思いのこと。「嫌いだけど、それもあり。」「合わないけど、それも認める。」「今まで信じてきた常識と違うけど、それもOK。」など否定的な判断でなく。
で、自分の思いを表現するのも、あえて表現しないのもいいけど、ことなかれ的に、ごまかしたり嘘ついたりすると、それがガマン、ストレスとなり、溜まって爆発したら、もっと面倒なことになりかねないので、表面だけ認めてるふりは、しないほうがいい。
②しないほうがいいジャッジ=正誤、善悪、上下などの比較判断
自分勝手な判断基準(環境による刷り込み思い込みや、集団意識による信念=色メガネ、フィルターといわれたりする)により、どちらかをよい、どちらかを悪いと比較したり、責めること。
もちあげたり、さげすんだり。これしてると、自分のこともジャッジするし、自分も他者からジャッジされると思い込んで、いつも他人の目が気になり、しんどい。そうなると、生きること全般がしんどいと、感じるようにもなったりする。
※わたくし、経験すみ。
とはいえ、ジャッジしてる自分を責めても、しょうがない。
ジャッジの思考は、習慣(くせ)になっている。そもそも人は、いつもなにか考えてる。おもしろいことや楽しいことが思い浮かばないとき、好きなことに集中してないときなど、無意識にその思考をやっているもの。
まずは、なにも考えない時間をつくることから、はじめてみる。瞑想や、ただぼーっとすることをしてみる。
で、自分がジャッジしてる瞬間に気づいてみる。
気づくたびに、その思考を、意識して、やめる。否定しそうになったら「それもあり。」と心の中で言い、否定してしまった自分のことさえ「まぁ、いいか」と。この作業を、くりかえす。
そうしてると、だんだんと、どんなことも「OK」と、思えるようになるし、
そしたら、 「自分は自分でいい。」と、思えるようになる。
ジャッジに気づくこと、その思考が自分の中にあることを認めて、「それもOK、大丈夫。」と、自分を慈しみつつ、手放していくかんじ。日々そんなこんなのくり返し。
まぁ、うまくできてもできなくても。それもまた、わたしの人生なんだから、少なくとも、誰かのせいには、しなくなる。