久しぶりに散歩をした。
私の父親はアウトドア好きな船乗りで、しかも長期間洋上にいることも珍しくなかったからか、週末に家にいる時は頻繁に近所の野山に連れ出された。
小さく体力のない自分にはハードなこともあったから体調を崩して医者から過労だと言われたこともあったが、そのおかげか今では立派なアウトドア好きになった。
社会人になってから、車を持つまでは毎週末一日20kmほど散歩をしていたし、自家用車を買った後は週末になると専らキャンプや釣りに繰り出している。
旅の道連れは決まって妻だが、今週は土曜日が妻の用事で埋まっていたから出かけなかった。
代わりに久しくしていなかった近所の散歩をしたのだが、これに非常に驚かされることになった。
私と妻は元々とても明るくよく話す人間なのだが、最近は仕事に忙殺されていたからか以前ほど活気がなかった。
仕事のためだと思っていた。
しかし、散歩をしたところ、忽ちに気分が晴れたので驚いた。
以前、毎日1時間散歩をするとうつ病にならないと聞いたことがあるし、車を持つ以前の散歩ばかりしていた自分たちはうつ病という言葉の対極に生きているような存在だった。
きっと、そんな散歩をしたから気分が晴れたのだろう。
しかし、散歩はしていないにせよ毎週のようにアウトドアに出かけ、何時間もの時間を陽の光を浴びながら車の中で妻と過ごしている。
にも関わらず、散歩をしないと気分が晴れないとは全く理解ができない。
違うことといえば体を動かしているか否かだが、出かけた先での散歩だってしていた。
でもそれでは気分が晴れなかった。
考えてみれば、現代人は常に目的に縛られているのだと思う。
キャンプをするにしても、オシャレなご飯を作ること、新しい道具を試すこと、自然の中で過ごすことさえ目的になる。
釣りはもっと明確に、魚を釣ることが目的だ。
そういった、仕事中も休日も出先でもいつでも目的だらけの中で心が疲れるのは当たり前なのかもしれない。
今日の散歩に目的がなかったわけではない。
最近ツキがないという妻の開運を祈願して近所の神社にお賽銭に奮発して200円入れて祈るという目的もあったし、めんどくさがりな私の伸びきった髪の毛を切るという目的もあった。
しかし、4時間程の散歩のなかでその目的に向かって行動したのはたった1時間程で、残り3時間近くはあてもなく他愛ない会話をしながら散歩をしただけだった。
そんな豊かで何にも縛られない休日を過ごしたことで、"気分を晴らすために"、"なんの目的もなく"散歩をしようという決意をした。