新年アルバイト先からみた朝焼けは雲がかかり美しいと言えるものではなかったが、天気は良かった。
また、4日にみた富士山はとても美しく、雪化粧をした山頂がとても美しかった。
人は美しさに何故こうも魅了されてしまうのか不思議で仕方がない。本当に自然は素晴らしいと思うのは今日も同様だ。
鬱陶しくも感じる雨は、いつもイヤホンで音楽を聴く私からオーディオを遠ざけた。
どうも雨の音を聞けと言っているらしい。
久々にこんな寂しい雨音と街の喧騒をしっかりと聞いたなと歩いていて感じた。
人並みに連れられ気づけば最寄りの駅まで来ていた。
ああ、そうだ卒業論文を書かなければいけないと思い、空腹を満たそうとAEONのフードコートへ急いだ。
平日の昼前でも人が沢山いるそこは、およそ客層は年配の方が大半を占めていた。
フードコートへ移ると客層が家族連れや仕事の休憩中のサラリーマン。
様々な層が大挙してランチを楽しんでいた。
選ぶものも選び席につき、周りを見渡せば、家族連れと高齢になった母親を連れ昼ごはんを食べていると思しき家族。
ああ、いつの間にか家族という共同体に周りを囲まれてしまった。
独り身でいることを悔やむこともあったが、自分の目的を明確に心に示した。
急いで食べてやることをやらねば…。
うどんをすすった勢いと同じくらいの勢いで私のかき揚げが飛んでいってしまった。
急ぎ過ぎたからだ。
一言かき揚げの破片に、ごめんと呟くと何か悲しそうに私をみてきた。ごめん、なさい。
拾った先には2歳くらいになりそうな子どもが、母親とご飯を食べていた。母親はせかせかと子供の面倒を見ながら自らの口を動かしている。
ああ、大変そうだと思ったが、かき揚げが今か今かと床から引き上げて欲しそうに見ていたので拾った。
束の間、茶碗に入ったうどんが空になってしまった。
早かったな、と少し寂しさを思いながら、ごちそうさまとつげた。
お盆を返すと同時に前に座る家族が席を立った。
ゆっくりゆっくりおばあちゃんが腰を曲げたまま立ち上がった。
支えるように50代くらいのおそらく息子さんと思える男性と女性が並ぶ。
ああぁ。と今と照らし合わせ自分に問いかけてしまった。
家族は元気か、大切にしてるか、一緒にいれる時間を永遠に感じられているか。
20年後の姿を映してしまった。
父も母もいつかはそうなってしまうのか、と思い悲しさが溢れてきた。
老いとは人間が誰しも通る過程であり、誰もがいつかは死んでしまう。
生死は日常的にある現象であり、身近で起こらない限りはほとんど他人事である。
しかし、地元に残した家族を思えば近い将来起こっても何ら違和感はない。
その家族を見て、様々な思いが駆け巡った。
最後には、家族の大切さを改めて感じた。
私はこの先大学を卒業すれば、現在の場所からまた違う場所、地元にまた少し離れた場所で次の生活を送る。
家族と過ごす時間が次第になくなっていってしまう。
そういう循環を通して、生死の尊さを学んでいる。
家族を大切にしなければいけないと改めて感じさせてくれたのは、私が一番愛おしいと思った人がそうだったからだ。
家族を大切にし、互いに愛し合う、本来あるべき姿を体現している。
言葉にせずとも行動から伝わってきた。
その人は普通だ、というかもしれないが私にははっきりとそんなことをしてこなかったため学ぶことが多かった。
そんな彼女を私は尊敬している。
家族の体系は人それぞれだ。
様々な性格、特性等あるが、私は家族がどうなろうとも大切に愛そうと思えた。
雨が上がった。するとお店の中が混み始めた。
昼を過ぎて、遅めのランチをとりに来る人がいるからだろうか。
いろんな人がいるお店の中は日本の縮図に感じられてしまったが、やるべきことをまずはやろう。
目の前のフレンチトーストを食べたら、また新しいことを考えよう。
また雨が降ってくる前に。
