三月一日 朝七時半 ばあちゃん おはよう!と部屋に行くと 既に 静かに 深い眠りについてしまわれました。
慌てて家族を呼び 看護士に来てもらい ドクターを呼び 死亡が確認されました。

「お母さん、もう良いかい?」と言って旅だったのではないかと思われる死でした。無くなる前日は 多少痰が重いなと感じる位で ごくごく普通に夕飯を食べましたので もしかしたら 六年目の春を迎えられるのではないかと 秘かに思っていた位でしたので あまりにも 突然の死でした。

太い血管があちらこちらで切れて チアノーゼになっていたので 悪くならない内の旅立ちでした。 



葬儀を三日に行い、あれこれ手続きやら 支払等を済ませ・・・・・気が付いてみると大風邪を久しぶりに引き、寝込みました。
海外に住む息子も 後一日遅ければ出張に出かけた息子も みなそれぞれ葬儀に参加でき まるでばあちゃんの計らいの如くのセレモニーでした。 


介護保険にお世話になって 13年。姑さんは 60歳で夫を癌で亡くし オシドリ御夫婦と言われるほどの仲良しの二人が 一人となり しかも認知症と言う大変な病気にかかり さぞかし大変だっただろう、心細かっただろうとおもいます。葬儀のナレーターで「力強く生きてこられた〇○さん。」と言われたとき まさにその通りで涙があふれました。バス徘徊をずっとしていたばあちゃん。「おふくろ 赤信号なのに手を挙げて バスに向かって走って行ったから きっと交通事故で死ぬわなと思った。」と夫が 言っていた位でしたが 田舎の温かな人たちの中で 守っていただき 思う存分徘徊ができました。

この病気になったとき 「おふくろの好きなようにやらせてくれ。」が夫の考えでしたので、最後の方は なりふり構わない姿で 涙が出て徘徊を中断させたこともありましたが その方針を貫くことができました。   



デイサービスに毎日行きたいという要望の姑さんに 毎日は家を忘れるから駄目と四日だけのお出かけでしたが 楽しかったようです。一ヶ月に2回のショートステイも 楽しいらしく疲れて帰って来て 良く眠りました。毎年1,2月には 危ないですと言われ 親戚中に電話をする騒ぎも恒例の事でしたが 今回は「お母さん、もう良いかい?」と 旅立ってしまいました。


朝起きt来たら ばあちゃん死んでいたっていうのが良いなとずっと言っていた私なので それも嬉しいです。何も口に入らず 枯れていくばあちゃんを見るのは辛いのですが 夕飯をしっかり食べて旅立たれました。


さて、心の中心がグシャッと抜けて ぽっかり穴があきましたが、一人分の生活がこれからできます。

三夜目念仏と言う古めかしい数珠回しの念仏がまだ 当地区にはあり行いました。そこに出した御馳走は みなばあちゃんに教えてもらったものばかりだったので そのことを話すと みなさん美味しいと喜んで食べていただけました。古めかしい行事は傍から考えると めんどくさいのですが やってみるとそれなりの良さがあり やっぱりやって良かったと思えました。 お経を唱える亭主役の方が 目を患っておられたのですが 俺が行けば女衆も出て来て 顔を合わせられるからと 無理をして出て来てくださいました。やってみて知る人の思いです。


お客さんが居る時は 体を低くして地を這うように 走り回っていましたが 人がいなくなって人間並みに猫も休んでいます。
シロタンも良く頑張りました。