1年前
樽前ガローに行きたい行きたい行きたい〜っ!と散々言っていて私。
人がいなくて幻想的で自然を満喫できそうな苔の山奥
一人で行くには命の危険がある(かも)
迷子になるかも(割とあるある)
だから家族について来てと頼んだら『ヤダ』と言われ
友人や仕事仲間を誘っても行きたい人はいなかった。
樽前に画廊なんてあった?
画廊じゃないよガローだよ!
山ガールの友人だけがあっさりいいよって言ってくれた。
わーいわーい。彼女となら心強いし安心。
なのに機を逸して行くのが叶わなかった。
なんでなんで!?
掴んだと思ったらヌルっと手から滑り落ちるウナギみたいな感覚というか……
行けると思って安心して具体的な日時を計画したりが後回しになっちゃっていた。
そして今年
全然行きたくない。
幻想的で静粛。
清涼な水の流れとかよりも
鬱蒼としてるという気持ちの方が強くなった(たぶんみんなが感じてたのと同じ)
それにどこにあるかもはっきりしないところに身体上の危険があるかもしれない所にわざわざ行く理由って? みたいに思えた今年。
感情から思考にしっかり移行してしまった例だねこれ。
あの感情、あの気持ちはあの時だけの限定だったみたいね。
1年前のあのタイミングで行っていたら私の素敵な経験の一つになっていた事だろうけれど。
実は去年の夏に、私が今まで見た中で1番だと思う神秘的な場所に行けたので心が満足しちゃった感もある。
神の子池
ここにいくまでひたすら変わりばえのしない景色を走らせ
この道で本当に合ってる?
って少々心配になりながらなんとか辿りつけた。
静かな森の中のさらに静寂の中にひっそり存在する神秘空間。
それほど大きくない池の水の透明度と自然が与えた色に吸い込まれそうになる感覚。
あの体験で満たされちゃったよね。
タイミングというお知らせはハートで受信する。
私の価値観をガラリと変えたあれは天啓だったとしか思えないこともあった。
ピンと来た時すぐ行動したから、後からそう思えた。
会いたい人に今年中に会いに行く
やりたいあれやこれは今年中にやってみる
そんなふうに決めていたら思ってたのと違うタイミングがやって来ることがあるけど、決めていたから、そっかー今かぁって気付ける。
昔好きな人に好きだと伝えられなかったのがしこりになって残っている。
いくら別の時に伝えられたとしてもね。なんであの時じゃなかったんだって後悔。
感謝したい人にはその時に言うと決めたら、私は母に産んでくれて人生をくれてありがとうって心からの素直な気持ちで言うことができた。
それから毎年誕生日には改めて言葉で伝えるようにしてる。
タイミングを見逃さないでハートを開いて日々を過ごしていたい。
そうしたら毎日が満たされるってことになるよね。