さあ、前回に書いたように事件があり、大変でしたがいよいよ受験に臨むわけです…
しかし、また大変なことがありました…
短期バイトが終了するのは、1月17日でした。が、この日に何と、
大震災が発生するのです。
まず、自宅のライフラインがやられてしまいます。
なので、バイトどころでも、学校どころでもありませんでした。
(なのに、学校の皆勤賞を狙っていた友人が、一緒に登校しようと誘いに来たのでビックリしましたが…)
ピアノの練習もできないし、勉強も怖くてできない、レッスンにも通えない…
バイト代ももらってないから受験料が払えない!!
どうしたらいいの?
前が見えなくなりました。
しかし、ピアノは学校が近かったため、練習しに行くことができ(その学校も、半壊だったので先生がいる間のみでしたが)
レッスンは、ソルフェージュは歩いても何とか行ける距離だったし、ピアノは遠くでしたが、代替輸送で通えるようになり、どちらも一回ずつだけレッスンに行きました。
バイト代ももらうことができました。
ところが、受験料と交通費はかかりましたが、宿泊費と食費は、被災地の受験生は無料で応援する企業がたくさんあり、それを利用することができました。
受験日前日、上京するのですが、新幹線も止まっていたので、父に付き添ってもらい、一つ先の駅まで代替輸送でバスを何回も乗り継いで行きました。
駅で父と別れるのですが、ありがとうが言えたのかどうか…
受験は2日間で、筆記と実技で日が別れていました。
筆記は楽典は完璧、学科も難しくなかったし、
実技も落ち着いて終えることができ、満足した出来でした。
となると、結果もついて、合格することができました!!
因みに彼氏も、東京?(埼玉県のはずれ)の大学に合格。
レッスンを受けていた先生からも喜んでもらえましたが、
一番喜んでくれたのは、なんと、高校の担任の先生でした…
この年は、浪人や、滑り止めの短大のみの合格者がかなり多い結果となってしまったらしく…
上京するなんてとんでもない状況だったようです。
なので、同級生から、ものすごく責められた…
東京の大学は、被災地の受験生の成績を大目に見たとか。
妬むのも大概にしてほしいものだ…
四年後に、ゼミの先生にその事を聞きに行くと、
この大学は、コネが効かない、なぜなら、実技では名前がわからないように、受験番号のみで実施されるから、とのこと。
受験番号も何桁もあり、覚えられないので、公平な試験結果により、合格したのですよ、と断言されました。
良かった良かった…
大学生活も本当に楽しかったし、
勉強もたくさんしました。
でも、将来の夢が分からなくなっていきます。
仕事はどうするのか?
それは、また次回…
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