「われわれのやり方がすぐれているのではなく、もうひとつのやり方だというに過ぎない」 二ール ドナルド ウォッシュ
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人間は常に誰かに、何かに従いたい、ルールを欲しがり、規律を求める。
「自由が欲しい!」と嘆きながら、何かに縛られていることに安心感を感じ、心地が良い。
そして、従うことはなんと言っても楽である。責任感はなく、何か間違ったことがあったら、「縛るモノ」を責めればいいだけだ。そうして、ヒトラーがナポレオンが、多くの指導者がすべての責任を、「縛る責任」を負っていった。
でも、「縛られる責任」というのも必要ではないのだろうか?なんというか、縛られる選択をした責任と言うか、指導者を信じる責任と言うか。ただ、「あなたについていきます、でも何か間違いを犯したら私はあなたのもとを去ります」というのはどうなんだろう。
人間の間で、優越は存在すると考えられている。より多くの知識、お金、人脈がある人。すぐれた仕事、家族、家、人種、性別を持っている人など。
優越な人とは、「縛る権利のある者」でもある。
しかし、二ールが言っているように、まず優越とはこの世にはない。
ただ存在するのは、自分と違った存在のモノ、自分の価値観と違ったモノがあるだけ。
という事は、この世に「縛る、縛られる」と言う関係も存在しないし、それに伴う責任もない。
自分の心に優越を感じたら、二ールの言葉をつぶやいてみるといいかもね!



