9歳のとき、好きだった人に会いたい。

 

そう思い始めたのは、高校2年生の夏くらい。きっかけは、Instagram。小学生の時好きだった人のアカウントを見つけた。名前を検索してみたら出てきた。べつに、今何してるかなーの感覚で。

小学生の時の、その人との思い出は、たくさんある。

ナイトプールをしたり、ナイトマーケットに行って、おそろいの時計を買ったり、

当時、パズドラっていうゲームが流行ってて、そのゲーム内にメール通信機能があって、それでメールを毎日してた。

たぶん、お互いに好きだった。

 

好きになったきっかけは、私のクラスに向こうが転入してきたこと。でも、最初の印象は、自己紹介の時に、口をはっきり動かしてしゃべらないから、8割何言ってるのかわからない、そんな男の子っていう印象だった。最初は、特にその男の子を気に留めてなかった。あー、新しい子入ってきたなあ、みたいな感じ。

 

その感じが、だんだんと変わってきたきっかけが、席替え。隣の席に、あの転入生が座った。その時の私が思った心配は、この子の言ってることなにもわからなかったらどうしよう、だ。本気で思った。最悪だ、とまで思った。

 

でも、その子の隣は、毎日楽しかった。なぜか、楽しかった。でも、私の心配は的中して、何を言っているのか、聞こえない時が結構あった。何を言ってるかどうかが聞こえないっていうのは、逆に良かったのかもしれないと今では思う。なぜなら、何を言ってるか聞こえないから聞き返すという工程の中に、自然と顔が近くなっていくという、自然な流れがあったからだ。

 

近くで顔を見ると、まあかっこいい。肌が白くて、歯がきれいで、まつげが長い。髪の毛がサラサラで、女の子みたいだった。その時の私には、その男の子が、尊く感じられた。だから、なにを言っているのかわからなくても、もうなんか、全部なんでもよくなった。愛想笑いや、相槌で全部乗り越えた。

 

ただ、目を合わせて、笑ってるだけで、私は幸せだった。小学生ながら、私は、ひとに「尊さ」を感じていたのだと思う。

 

その男の子は、頭がよかった。私が、恋に落ちたもう一つの理由だと思う。

そう感じたのは、小学4年生のときの算数の授業。三角形の図形をした紙が配られて、この三角形の内角が180度であることを、その図形の紙を用いて証明するという問題だった。私には、わけがわからなかった。だけど、その男の子は、はさみをとりだして、その図形を三等分に切って角の先端を中心に集めて並べだした。すると、見事、180度の線が来上がった。当時の私は、これは革命だと思った。

 

こう思い出すと、わたしは頭がよくなくて、よかったなと思う。

本能的に、私が持っていない力を持っているからこそ、この人ことが好きだと感じたんだなと思う。

 

そこから、ひそかにその人のことを想い始めた。なんか、本当に好きだった。そのひととどうにかなりたいっていう思いは一切なくて、ほんとに、単純に、すき、だった。

 

小学5年生になって、メール通信をし始めた。その当時は、LINEという通信手段ができ始めたころで、あえてそれではなく、ゲーム内にある通信機能を使うことで、親にばれることもなく、今思えば、賢い使い方だったなと思う。(笑)

 

好きな曲はなにかとか、どんなペットを飼っているのだとか、好きな人はいるのだとか、いろんな話をしたことはかすかに覚えている。そのとき、その人から、この曲が好きなんだと教えてもらった、RADWIMPSの「いいんですか」は、今もわたしの特別な曲のひとつである。

 

小学5年生の誕生日、そのこから、78羽づるをもらった。私の誕生日の数だけ、鶴を折ったものを渡してくれた。超きゅんきゅんした。授業中にも折ってくれていたらしい。

わたしも、あなたの誕生日の数だけ、鶴を折るよと約束した。そのとき、私は、転校することがもうわかっていたので、転校するときに、鶴を渡せるようにしようと思って鶴を何個も折っていた。

 

転校当日、その子は、お別れに私の住むコンドミニアムまで友達と来てくれた。私は、鶴を鞄に忍ばせていたが、すっかり忘れてしまっていた。お別れした10秒後くらいに気づいたが、結局乗っていたタクシーが出発してしまい、渡すことができなかった。また、夏くらいに会えるだろうから、その時に渡そうと思った。

 

そんな過去も、私がその学校を転校してから、一度も彼と会うことはなく、なつかしい思い出となった。

 

そして、見つけた、Instagramのアカウント。アカウントを見つけたおかげで、私の未来は確実に変わった。

 

プロフィールを見ると、わたしでも知っていた大学の付属高校とやらに通っていることが分かった。最初見たときは、本当におったまげた。3分くらい、フリーズしてた。

びっくりばこを開けるような気持ちで、その高校のことが気になって検索してみた。すると飛び込んできた偏差値とやらが、まさかの私の通っている高校の+20。ひぇぇぇぇぇええええええ。すぐにスマホを閉じた。恐ろしかった。今の高校入るだけでも苦労したのに…。でもなんか、悔しかった。

 

高校3年生になった。進路を決めなければならない。その時も、あの人の入るであろう大学のことがずっと頭の中にあった。しかし、いや、冷静に考えて、今の私の頭ではさすがに…。とか、目標にするのでさえもおこがましい…。とまで思ってた。

 

しかし、その当時わたしが学力でひとつだけ自慢できるものと言ったら、生物基礎だった。わたしは、生物基礎だけ異常に点数が取れた。全国模試も、ほかの教科が偏差値50前後なのにもかかわらず、生物基礎だけは偏差値70は確実に取れていたし、得意だった。

 

なんで、点数が取れるのかも自分でわかっていた。わたしが、生物基礎が得意になったわけは、授業でもなく、塾でもなく、元からの知識でもなく、一冊の参考書である。参考書一冊で、わたしは点数が取れた。学校の授業は、聞いているふりをして、こそこそと参考書を見てた。まぁ、先生はそれに気づかないわけがないのだけれど。

 

点数が取れるわけがわかると、ほかにもこの方法が応用できるのではないかと、私は考える。もし、この方法が、国語でも、英語でも、応用出来たら、絶対に偏差値は上がるし、あの人が通うであろう大学にも合格できるんじゃないかと、私は一瞬でも、そう思ってしまった。

 

そう思ってしまったら、私は行動に移すのが早かった。母に、この大学を目指すと宣言した。学校から出された、進路を書く紙にも、第一志望に堂々と〇〇大学と書いてやった。すべての動機は、「10年前好きだったひとが、その大学に入るから」だ。自分は、こんなにもよくわからない動機で、努力をしようと思えるなんて、気が知れていると思った。でもやってみたかった。

 

そこから、この一年は試行錯誤の一年だった。

みんなが塾に費やしているであろうお金を私は、参考書だけに費やした。そして、その武器をどんなふうに使うか、どうやって頭に入れようか、たくさん考えて実行した。そしたら、高2の秋偏差値38で学年最下位だった日本史も高3の11月には70を超えて、学年で見事1位になった。英語も現代文も古文も、だんだんとできるようになった。

 

でも、結局、その第一志望の大学には合格できなかった。確かに悔しい。だけど、今までの自分じゃ行けなかったよなっていうところに、今、いることができている。確実に、レベルアップできた生活の中にいる。

 

これまでの出来事、すべてふりかえって、

わたしは、10年前好きだったその人に、いつかお礼を言いたい。

 

あのとき好きになって本当に良かった。また会えることを願って、今は自分をがんばる。