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2016年4月長女誕生赤ちゃん
2018年11月長男誕生予定赤ちゃん
産休中の元ワーママです
 
子育てのこと、仕事のこと、
家計のこと、日々のこと…
思いつくままに綴るブログです
 
ブログを通じて色々な方と交流したり、情報交換できたら嬉しいです

 

なんだかインスタ見てたらハロウィン投稿

多くてびっくり


みんなハロウィンの仮装とかやって

イベント楽しんでいるのね


我が家は朝から訳もなくファミレスで

モーニングしてお部屋の掃除して

遊んでお昼寝



ちょーだいよー。
あげないよー。

ってしてる親子照れ

 


以前からちらっと書いてはいたのですが、

今日は父の病気のことを

 

そんなこと妊娠育児ブログに書くなよ、

って感じかもしれないし、

結構赤裸々な話が続きますが、

私の中の頭の整理も含めて記録させて下さい。

 

特に余命がどうの、っていう話ではないので、

そこは安心して読んでいただければ


神経系の病気です。

長いです。

 


父に起きた出来事

 

まずは事実の整理。


数年前から足が重い感じがして、整形外科を受診。脊柱管狭窄症と診断され、薬を処方されるも変化なし。


改善はないまま、徐々に足が重くなり、歩けないわけではないけど足が重く感じるように…


いくつかの病院に行くも、診断は変わらず、

しかもレントゲン?の所見から見る限り

重症度の高くない脊柱管狭窄症と言われてしまい…

ちょっと大袈裟じゃない?少し我慢してリハビリに動きなさいよ

的な対応をされていました。

 

 

今年度に入り、一向に良くならなずにむしろ悪化する症状をどうにかしたい!と

医師からはまだ勧められていない手術療法やらブロック注射をしてくれる病院を探し、

その中で脊柱間狭窄症ではない可能性を

初めて指摘され、8月に神経科の有名な病院で、約2週間の検査入院

 

どうやら最悪の可能性として、ALSという病気の可能性を指摘されての検査入院だったようで、

父も母も大分心配したようです。

 

しかし早めの段階でその可能性は否定され

今度は◯ーキンソン病の可能性が浮上。

父が検索魔になっている可能性を考慮して伏せ字。

 

ALSもパー◯ンソン病も、ともに国の難病指定を受けている病気です。

 

とはいえ、症状どんぴしゃではなく、

最終の診断としては◯ーキンソン症候群とのことですが、これも難病指定されている病気。

むしろ症候群の方が厄介なんだとか。


将来的に寝たきりになってしまうことや

普通よりも認知症のリスクが高いことを

告知されたようですショボーン


余命に関わる病気ではないし、

今のところ歩けているし、

リハビリやら薬やらで上手く付き合っていく病気

 

というのがそれを聞いた時の私の勝手な認識でした。年齢的にも、将来的な寝たきりや認知症の可能性なんて誰だってあるでしょと。


なんの病気かわからずモヤモヤしていたのが解消されて、これからちゃんと病気にあった治療が始められて一歩前進だね

 

くらいに思っていたのですが、

現実はなかなかそうもいかず…


病気を受け入れられず?気持ちがあまりにも落ち込んでしまっている父と、

 

父のフォローと同居の姑の対応に追われる母。

 

なかなか大変なもんです



こんな事情もあって、第二子出産育児は比較的自由の効く母に頼りつつ頑張ろー

もいう感じでもなく、突然出産よりも計画出産にして産後のフォロー体制を事前にしっかりと決めておきたい、という方針になったのです。




娘にひた隠しにする母

 

ちなみに、検査入院が決まってからある程度病名がわかるまで、父の様子をあまり母は私に教えてくれませんでした。

 

最近お父さんの足の様子どう??

と聞いても、明らかに濁す母…


話せないほど急激に悪化しているんじゃないの?って逆に心配になってしまうほど

 

しかも話の濁し方めっちゃ下手。


後日こっそりパパに聞いたのですが、

母はパパに個人的にLINEをして、

ALSの可能性を指摘されたことやその為に検査入院をすることを話していたようです。


そして、私にそれを伝えるタイミングは

私がパパと一緒にいて、もしも私が精神的にショックを受けた場合にフォローできるとき

って決めていたそう。


どうやら母は、精神的なショックから私が流産したりしないかを心配してくれていたんだとか


しかし私もパパも知っている…

私はそんなに優しくもなければナイーブでもない。笑

 


病気の受け入れができない父


病名も一応わかり、リハビリや治療が始まったのですが、 そこからが一番大変えーん


なぜなら、父は昭和のオヤジ的な感じで

母がいないとなんにもできない人だし

今まで大きな病気もしたことがない。


そのため、

病気の事実を受け入れられず

予後を最悪の方向にしか考えられず

軽い鬱っぽくなり

母に対する依存が増している状況


になってしまいました


母は仕事をしていましたが、

検査入院のタイミング以降休職。

検査入院なのに毎日片道1時間かけてお見舞いですよ…



特に介護が必要な訳ではないですが、

なんかあったら、、、という父の希望でずっと休職。


毎日家にいて、リハビリ兼ねて散歩するでもなくずーっとテレビ見たりしてるだけ。


たまに母が出かけても、

今どこ?何時に帰るの?

連絡が激しい。


同居している祖母も、構ってちゃんなので

私も高齢者なんだから!私にも構って!!状態。



ほんと、母の負担が大きすぎる…


二階に登るのが大変なので、一階のリビングに父用のベッドを設置。

じゃあ夜は母は一人で二階でゆっくり寝れているのね、と思ったら、一人じゃ嫌だという理由で母も一階リビングで就寝。

…ちなみにソファーびっくりびっくりびっくり



理想をいうと、


寝たきりを少しでも遅らせる為に前向きにリハビリに取り組んで欲しいし

母にはただでさえ同居のストレスがある上に看病ストレス。

出来れば適度に仕事をして気分転換して欲しい。


なのにそれが全く出来ていない状況笑い泣き



介護認定もおりていないのに、室内のほんの数メートルの移動のために車イスを購入

ちなみに歩けない訳ではない。


様子を見に遊びに行って写真を撮れば、「病気のせいで上手く笑えなくなっていてこんな無表情なんだ」と。

昔から愛想の良いタイプではなくいつも通りの表情


トイレ行きたくなったときに心配だからなるべく外出したくない

まぁこれは気持ちはわからないではないけど


リハビリも家の前まで送迎バス来るから、リハビリのときだけでも母が仕事復帰しようと思っても、行くときと帰ってきたときは家にいて欲しいと。

甘えてるんじゃなーーい!!



家族としては、適度に𠮟咤激励したいところですが、軽い鬱症状と言われてしまっている以上、今は仕方ないと甘えさせてしまっている現状。


兄と私は、母も共倒れになってしまうのではないかと非常に懸念していますもやもや


完治する病気ではないので、鬱からの脱却には病気を受け入れることが必須。

長い目で見て、今は優しくしてあげるしかないんだけど…


自分のことはなんもできない

全て母に甘えている


そんなもともとの父の性格?を知っているからこそ、もうちょっと自立してよ…


と思ってしまうのも事実で、

父にどう接したら良いか頭を抱えています。



甘やかして、リハビリも無理しなくていいよ!

家でも辛いなら車イス使えばいいじゃん!


と言って解決するなら良いんですが、

ある程度リハビリは頑張って貰わないと困るのも事実。




あー、、、難しい


義母の方が高齢で持病盛りだくさんだから

親の健康で悩むとしたら義母の介護問題かなと

思っていたのに、まさかの父のメンタルで悩むことになるとは…



孫の誕生が前向きにさせてくれれば良いけど

今のところ、

孫はこれから希望がいっぱいだけど、

俺にはなんも前向きな話がないな…

だそうです



やっぱり病気の苦しみはなった本人にしかわからないんだろうけど、、、


仕方がない、当然の反応なのだろうか…



難しいですね。


経験談でも、アドバイスでも、何かあれば是非教えて欲しいですショボーン