kazeのように・・・ -49ページ目

家の事

ふとおもった。
うちのおふくろはすごかった。

私が小、中と内職していた。
覚えてる内職は

5センチくらいの布を包帯のように巻いていく。今となってはなんの内職なのかもわからない。
つぎがゴムなペダルのバリとり。
俺も手伝ったりしたけど、うまく切れなくて不良品にしちゃったことがあった。
その次は布巾の製造?
ロールでくる布を裁断して、折って、ミシンかけて、またおって袋につめて10枚ひとまとめにしていく、箱につめたかはわすれたが、たぶんこれが一番ながかった。

なくなった祖母とおなじで、人の為に生きた人。
いまでは、1人では生活できない。

内職もそうだが、介護もすごかった。
幼稚園ごろから親父の祖母と生活していた。
いまでいう寝たきり。
私が小学校3年の時になくなったが、その四年近くは、おふくろはが1人で介護していた。

内職は祖母がなくなってからはじめたとおもう。
けっして貧乏というわけではなく、ごく普通の生活をさせてもらった。
これも、そんな努力の賜物なんでしょね。

そして、10数年前はおふくろの祖父の介護を通いでしていた。
祖母が介護していたが、おふくろがサポートしていた。

その祖父もなくなり、これがきっかけかわからないが、おふくろが、良く泣くようになったとおもった。

私も結婚して家をでてしまい、近くにはいたが、滅多にいかなかった。

ある日事件がおきた。

そして、それからというもの、見たこともないおふくろが、そこにいた。
うつなのだろうが、祖母が生きていた頃は祖母が、娘を介護するというかたち。

倅の私は何もできなかった。
そもそも自分も家庭がなくなり、会社もなくなりと、必死だった。

やっと孫も生まれて、これからというときには、認知症の状態。
親父か介護をしてくれてるおかげで、私は生活させてもろっている。

でも、いざ何かと思ってもできないもので、親父が怪我した時に、仕事を休んで足代わりをしたけど、親父も大変だと言うことがわかった。

今の単身赴任が、終わったら、親孝行とまではいわないが、顔見せにいこうと、ふとおもった。

なんかさびしいですね。
人の人生は普通に生活することの難しさを改めて知りました。

なにごどもない人生を送れる素晴らしさを感じる今日この頃でした。