この一年もやもやと疲れで本当に辛かった。

その中でも世間的には元気を装っていたのもあって

余計こたえていた。

 

そんな日常の中で自分と向き合わざるおえず

ずっと内観をしていた。

思い通りにり進む気配さえない現実に、苦しくて辛くて

ネットで情報をあさったり、YouTube占いを見てみたり

心の内を紙に書きだして感情の整理をする日々。

 

そんな中度々目にするワードがあった。

『ツインレイ』

動画でもツインレイカップルが配信をしていたりして

知らない間に日々チェックするのが日課になっていた。

 

でも私には素晴らしい夫がいるので、最初は

そんな関係もあるんだな。

くらいのコンテンツを楽しむ感じだった。

けど、心のどこかで

 

いいな~。

唯一無二の自分の魂の片割れに出会えるなんて。

私も会ってみたいな。

 

と正直な気持ちが沸いていた。

頭では、それって今の主人に対して失礼だし

自分は今の幸せが見えていない感謝の足りない人間だ

と打ち消そうとする。

でも気になってしまうワード『ツインレイ』

 

そうこうするうちに、一通のメールが届く。

それは20年前に海外にいる時に付き合っていた彼から。

 

仕事で日本に行くとの知らせ。

 

彼とはお互い留学中の第三国で出会ってお付き合いを

したけれど、彼がすぐ帰国になってしまい、

しばらくはメールでやり取りしていたものの、

私も日本に帰国して就職活動や環境の変化

で若かったのもあり自然消滅をしてしまった。

 

その後はFacebookで時々彼から数年に一回メールが

来ていたという感じで、

当時の私はあまりFacebookをチェックしておらず

返信も数日から数か月後とか。。。

全く意識もしていない友人の一人となっていた。

 

2019年にも日本に来る予定のメールが来たけど

結局コロナで来れないまま、私の中ではすっかり忘れていた。

 

今回メールをもらった時も、ふーんくらいで当たり障りの

ない返信をしたと思う。

向こうも誘ってこなかったし、忙しいのかなと。。。

 

でも、来日が数日に迫ったある日

私は何故か彼にメールしたくなった。

せっかく来るなら会ってみたいなと。

彼もとても会いたいと言ってくれた。

 

そこから頻繁にやり取りが始まり、会えるのが楽しみになっていった。

 

結局彼とは日本滞在中に三度ほど会った。

日本食を食べたり、ミュージアムに行ったり、

 

20年ぶりな気がしない。

もちろんお互いに年を重ねて立派な大人になっている訳なんだけど。。。

あの頃お互い10代で、彼はまだ高校生で、

私が初めての彼女だった。

 

そんな記憶もあってか、懐かしいよな時めくような

なんだか不思議な感じ。

話しているとあっという間に時間が過ぎる。

ただ、恋は盲目という言葉とは裏腹に冷静に観察する私もいる。

 

スケジューリングにしても合わせるのは私。

時間もなんだかんだ遅くなる。

私の中の男性の常識だと結構アウトなのだ。

 

主人は全くそんなストレスのない人。

いつも私に合わせてくれるし、安心させてくれる。

穏やかで安心安全の中で生きられる私はどれだけ恵まれているか。

 

そう思いながらも、彼に惹かれている自分がいる。

これは思い通りになららい男性に惹かれてしまうってゆー

アレでしょうか、、、、

こんな大人になってから、パートナーも子供もいるのに

もうそういうのいいから!

と振り払いたい気持ちと、素直にときめきを楽しんでしまおう

という気持ちと、、、

そんなこんなで過ぎていった彼の日本滞在。

 

そんなマイペースな彼との一時の出会いだったけど

この出会いで私は色んな気づきと

色んなシンクロを経験した。

 

このブログを書いてるのもそう。

こんなに目覚ましのような出会いがいきなりやってくるなんて

想像もしていなかった。

 

彼が帰国して、もろもろ振り返ってみると

今まで気になっていたツインレイってゆーのはもしかしたら

彼なのでは?

と思ってしまう私がいる。

思ってしまう、、、というか

感じてしまうのだ。

 

そしていつものように頭でかき消す

いやいや、ちょっとときめいたからって都合の良い

ように考えるのは違うよ。

きっとすぐ日常に戻るよ。

夢見れただけ良かった。

彼との未来はないよ。

 

そんな頭の中の自分と

もしかして彼がそうなのでは?

との思いで葛藤している。

 

そもそもツインレイて会ったら直観的に分かるのもでは?

ただの痛い人かな?

 

と思いつつ、彼とのシンクロが多すぎてかき消せない。

 

長いので次回へ。

 

 

 

 

正直言うと私は働くのが嫌いだ。

今までバイト、お勤め、フリーでもやってきたけど

バイト、お勤めは苦しかった。

フリーは怖かった。

 

自立していく為にはまずここと深く向き合わなければと思う。

 

何故働く事が苦しいのか、嫌いなのか?

・色んな我慢がつきまとう

・時間を制限される

・仕事内容から時間に渡って決められて自由がない。

・人間関係のストレスが大きい

・関わりたくない人(仲間やお客様)と向き合わなければいけない。

・怒られるのが嫌い

・責任が怖い

 

すらすら思いつくな~。

こんなだから、

仕事が楽しい!仕事に夢中!

って言ってる人の気持ちが分からず羨ましいと感じる。

 

10代でバイトを始めた時からずっと、

私にとって仕事とは行くのが憂鬱なもの、

しんどくて苦しいものだった。

 

でもそれはそもそも何でなんだろ?

って考えた時に母との昔の記憶がよみ上がってきた。

 

父と母は共働き家庭で、父の両親と同居をしていた。

平日の掃除と子供のお迎え、ご飯後の洗い物は祖母がしていたけど

後は全て母がやっていた。

祖母がいるから作業量は減るが同居のストレスはある。

 

フルタイムで働いて、買い物をして帰ってきて家族7人分の

夜ご飯を作る。

朝は犬の散歩に5人分のお弁当に朝食、

父と子供を起こしてご飯を食べさせて仕事へ行く。

土日も子供の習い事や家事。

ご飯は出前や外食はぼぼせず毎日作る。土日は三食。

 

そんな母の日々が果てしなく大変だと思っていたし

苦しそうだった。

実際母は疲れていたし、日曜日には

「明日も仕事だ」

とネガティブな発言をしていた。

 

子供ながらに、何で母だけこんな大変なんだろうって思ってた。

父は毎日仕事終わりに飲んで帰ってきて、家でもご飯も食べる。

朝も何もせず母に起こしてもらう。

家事は母と祖母がやってくれる。

 

同じ働いてるのに何でこんなに母だけしんどい思いしなきゃ

なんないのか。

当時はまだ家事は女の仕事といった風潮だった為

私はこの時に

 

『働く女性は辛くて苦しくてしんどい事』

『働く事は辛くて苦しくてしんどい事』

 

とインプットされてしまったのだと思う。

 

母がキラキラ輝きなから働いていたらまた違ったのだろうか、、、

母が家事を父と折半していたら?外注していたら?

もっと外食や出前を気軽にしていたら?

母は幸せで、私も働く事にポジティブなイメージを持てたのだろうか?

 

少なくとも、働くことがしんどいと思っていたのは母の事実であって

それは私には関係がない事だと分けて考えよう。

母の人生と私の人生は違うよ。

 

働く事を生きがいにしている人もいるし、

働く事でキラキラ輝いてる人もいる、

結果が伴って自分も人も豊かにしている人もいる、

 

そーゆー世界もあるんだよって、

小さい頃の私に今の自分から教えてあげよう。

 

少しずつでもポジティブなイメージに書き換えて行こう。

 


 

 

 

 


 

 

 

前からあったもやもやがここ一年拍車をかけて湧き上がってくる。

 

『自立したい』

 

とゆー想い。

精神的にも経済的にも。

自分の人生を誰に託すことなく、

期待をする事なく

自分で満たせて立てる女性。

 

そんな自分になれたら、無償の愛でもっと周りを照らせるはず。

自分の幸せに責任を持って、

人を責めず、自分も責めず、

ありのままを受け入れれたら人生がどんなに自由に開けるんだろう。

宇宙に開放された生き方をしてみたい。

今の自分はそんな風に感じている。

 

そんな強い想いが浮き彫りになったのはこの一年。

子供の学校が変わって私の負担が目に見えて増えた。

親が積極的に関わる事が多い学校と知っていたけど。

本当に今までの学校とは大違いで

お迎え早い

休みがすごく多い

親同士の関わりが多い

お誕生日会も多い

学校行事のボランティアも多い

そして極めつけは、

学校の帰りの公園。

学校までの道の途中に公園があり、

そこで絶対遊んで帰る。(夏も冬も)

私は正直この時間が嫌いだ。

小さな公園で子供が遊んでるのを見る。

周りには同じ学校の親御さん。

これまた気を遣う。

 

最初は張り切って色々参加してみた。

保護者同士の交流やパーティーにも顔を出し

息子のスケジュールに合わせて毎日動いていた。

 

それでも周りの親の意識が高いので

全然追いついていないレベルなんだけど。。。

でも自由人の私にはストレスや負担が着々と溜まっていたようで

、、、、遂に燃え尽きた。

 

子供が学校に行っている間時間はあるのに

ぐったりしてて何もやる気が起きない、、、

ぐーたらしてしまう、、、

そして罪悪感、、、、

身体は停止、でも脳内では色んな事をぐるぐる考えてる。

そしてまた疲れる。

 

私、、、何してるんだろ。

子供は心から可愛いし愛してる。

だから彼の希望は叶えてあげたいと思うし

出来る限りの事はしてあげたい。

 

でも、正直私は子供と関わるのも家事も実はそんな

好きじゃない。

 

でも家族の為に、家族のスケジュール優先して頑張ってる。

だって私は主婦だから?

お勤めは苦しかったし、何度が自分でビジネスもしたけど

全然成功出来ていない。

そもそも情熱も努力も足りない自分には無理だと諦めてしまった。

 

心の負担がない程度に趣味として好きな事をしている。

それを好きな時に好きな事をしていると勘違いしていた。

 

勿論その形に自分が満足していれば全く問題ない。

けど、私は幸せじゃない。

こんなに恵まれてて幸せじゃないなんて言っているなんて

なんて贅沢なんだと自己嫌悪に陥ってしまうけど

正直心がざわついている。

 

本当は自立したい。

自立に伴う責任から逃げてきた。

勿論その分子供といられる時間もあったし

精一杯向き合った。頑張った。

だからそこは自分によくやったと言える。

向いてない中、そこにパワーを注いだ分他にまで回らなかった。

私はマルチタスクのスーパーウォーマンにはなれなかった。

 

でも、子供もあと一年で送り迎えがなくなる。

きっと自分の世界も広がって彼も自分で出来る事が増えていくだろう。

 

私はお世話係りとしてのサポートより

今度は輝く母として背中を見せる事で彼の人生を導いていきたい。

 

そして、夫婦関係。

素晴らしく優しく、理解があって、稼ぎがあって、

いつも家族を一番に考えてくれる主人。

彼との関係も考えていかなければならない。

男女というよりは親友といった感じの我々。

理想の夫婦の形であると自分に言い聞かせている部分がある。

 

こんなに素敵な人を手放すなんて馬鹿だ。

こんな素晴らしい旦那様もう二度と手に入らない。

私は傲慢で愚かなのか。

 

そんな想いがぐるぐるしている。

 

答えはまだ出ない。

今は疲れているから。

一時の過ちかもしれない。

自分を癒して健全な精神と身体を整えてからじっくりと

向き合う必要がありそうだ。

 

だから私は自立したいと思うのだろう。

自分で自分の全てに責任が取れれば

私はクリアに気持ちで自分の決定を尊重する事が出来る。

 

今から自分のできる事を一つ一つ重ねていこう。

 

 

 

 

 

 

 

私の周りには主に二種類の女性達がいる。

 

スーパー美人キャリアママ

専業美人セレブママ

 

前者は本当に凄い。

外資系、社長、インフルエンサー、官僚、フリーなどで年収数千万円稼ぐ。

しかもみーんな美人!性格も良くて、旦那もこれまた稼ぐ。

もちろん超高級タワマン住んでます、、、

働く事に生きがいを感じている人が多い。

 

そして専業美人ママも優雅。

もちろん旦那様がとんでもなく稼ぐので超高級マンション住まい。

ゆるふわな女性らしい美人で、夕方まで子供はスクールに行ってるけど

本人達は何かと予定があって充実してそう。

そして特に働く気はなく今のライフスタイルに満足している。

 

私はどっちかと言うと後者。

一つ前の日記に書いたように、若かりし頃はキャリアウーマンを目指していた。

でも、本当は専業主婦になりたいって心の底では思っていた。

 

母も働いていたし、女性も働くのが当たり前を掲げている時代に入っていたし

専業主婦のリスク等も何かと耳に入る。

そして何より何者かになる事で自分の価値を図ろうとしていた。

でも自分に見切りをつけて諦めて、念願の(?)専業主婦が叶った。

という少し変なパターン。

 

それ言うと、今時専業主婦なんてなりたくてもなれないと言われたりもする。

専業主婦叩きなんて言葉もあるくらい、時に馬鹿にされたり、実は羨ましがられたり、、

なんとも変な職業ですね。

 

専業主婦は無職だとか怠け者だとか言う意見も見かけますが、

私はそうは思いません。

現に主婦業の要素が取り込まれたビジネスは多くあるし

(シッターや家事代行もそう)

それらの職業に就いて、お金という目に見える対価を得ている人は

労働者と見なせれるけど、

同じ事をしているのに、賃金の発生していないといった理由で

主婦が無職と見なされるのはおかしいと思うからです。

 

主婦が一日にこなす家事&子育ての時間をアウトソーシングしたらとんでもない金額になりますよ。

 

と、少し脱線しましたが

キャリアウーマンを目指していた私が、実は専業主婦になりたいと思っている事に気づいたのは

とあるロールモデルが近くにいたから。

 

実は私は20代の頃、念願叶って希望していた職に就けたのです。

その仕事は、私が目指す分野の女性オーナーも元で働ける職場でした。

全ての仕事を経験出来たし、オーナーの仕事も間近で見れたので、

独立するなら本当に恵まれた職場でした。

 

ただ、そんなオーナーの近くで働ける環境でしたから、経営の事も仕事内容も

プライベートも、良いところだけではなく、現実そのままの姿を見る事が出来たんです。

 

周りのビジネスパーソン達との付き合い方とか、ビジネスのコラボ話のリアル等

う~ん、やっぱり経営者は孤独だしメンタルも強くないとやっていけないってのが

分かるような、、、

もちろん自由もあるし、かっこいい部分もある。

けど、経営の事、売り上げをずっと上げ続ける事、これってすごい責任だと感じたのです。

雇われの身の私がそう感じているのの実際は何倍も大変だと思う。

 

それでも自分の事業をやっていく覚悟はあるのか?

楽して稼げるなんてのはない。(特に最初の頃は付加もかかるでしょう)

そんな甘いものではない、、、

それでもそれを生きがいに楽しみも感じながら24時間を注げますか?

と自分に問うた時に、私はYESと思えませんでした。

 

むしろ当時独身だった私は、そこにお客様として来ていたマダム達の事を羨ましく

思っている自分に気が付きました。

もちろんお客様として来ているのですから、楽しそうなのは当たり前だし、

彼女たちにも悩みや事情なんて沢山あるでしょう。

それでも、

あ~、あっち側に行きたいな~。

と思ってしまったのです。

 

そんな訳で私は晴れて専業主婦になりました。

 

そこで100パーセント満足していれば、私も上記の専業ゆるふわセレブママになれたでしょう、、、

でもややこしい事に、私の中のもやもやは続いていくのです。

 

また長くなるので次回に。。。。


 

 

 

 

 

 

 

 

傍から見たら私は悩みがなさそうなセレブ妻だそうです。

 

確かに今困っている事もないし、主人は本当に優しく稼ぎもある。

子供はインター通いで頭も良い。

大変恵まれてると思う。

 

けれど、上には上があるのは世の常で、年収だってライフスタイルだって

いつだって持ってるもの以上にどんどんとハードルが上がっていく。

そこを追い求める事は不幸の始まりだと分かっているので

そんな事はしないけれど、、、

私には昔から理想の暮らしがあって、それをするにはまだまだ遠いなと感じている。

 

今は専業主婦+ちょこっとお小遣い程度のフリーのお仕事をたまにといった感じ。

 

そんな私は10代20代の頃は自分で事業をやって成功したいと思っていた。

色んなビジネスセミナーに行ってみたり、

実際に会社のスターティングメンバーとして役員をやってみたり、

意識高い系の本読んでみたり、

技術を習得しに学校へ行ってみたりもしたけれど、

 

でも本当は人の為に何か役に立つとかそんな大儀もなく、

実際は自分の価値を作りたかったから。

人からすごいって思ってほしかったから。

 

何か動き続ける事で、それを口にする事で、

自分の夢に向かって突き進んでいるかっこいい私をアピールしたかったからだと気づいた。

 

自分がやっている事は所詮パフォーマンスで、

本気で事業をやる気も、責任を負う覚悟もないんだと、、、

おいしいとこ取りして、かっこいいキラキラした自分を見せたい、

ひと昔前流行ったきらきら起業女子じゃん、、、

 

そう思って萎えて、諦めて、プライドも仕事も家も全部捨てて降参したら今の主人と結婚する事になった。

結婚してから主人の年収はどんどん上がり、5年で10倍になった。

これは勿論彼の頑張りなのだが、

どうやら私は自分で稼ぐより男性に稼がせる力のほうがあるようだ。

それは何度か周りの人やスピ系の人からも言われた事があった。

 

それは素晴らしい才能だとは思うし、私も自分が毎日働くよりも、

実際人が稼いて来てくれるのはありがたいと思う。

 

でも同時にそこに100パーセント満足出来る自分だったら良かったのに、、、

とも思ってしまう。

 

それが本心からのもやもやなのか、まだ振り切れてない自分のエゴからの思いなのか、、、

 

今自分との対話を始めようとしている。

そんな独り言の日記を綴っていってみとうと思う。

 

長くなりそうなので次の日記で、、、