人数分の会議資料をファイリングしながら、仕事から思考が逸れたことに気付いて首を振った。ゆっくり深呼吸を1つして、机の上に揃えた手帳と筆箱を重ねて胸に抱え持つと、会議の会場へ向う。
事務所に残る部下に、離席の一声をかけることも忘れない。
8年勤めた社内では、部長と呼ばれるまでになっていた。名ばかりの肩書きに憤慨するも、立ち回りやすくなってきたのは事実だ。
仕事量に伴いオーバーワークも増えていく。それでも、その場に留まる事は許されない、典香自身が許さない。
ヒールの音がフロアに谺響する。
典香の腕が試される、重要な会議だ。プロジェクトを初めて自分の手のみで進めていくことになる。今日はプロジェクトメンバーとの顔合わせ。会議の準備は昨日のうちに終えており、内容も万全だ。
そんな余裕からか、またしても頭の中にふわりと浮んでくる事柄が、仕事への集中力を遮る。
少しでも気を抜くと、典香はいつも、「あのこと」ばかり考えている。
典香の脳内にはこれまで、いつでも膨大なTO DOリストの付箋が並んでいた。大学の友達、得意な料理、趣味の映画、欠かさず観ていたドラマ、好きな俳優、LIVEチケットの争奪、コレクションしているピアス、カラフルな洋服…しかし、たくさんの付箋らはいつの間にか全て、取り外されていた。そして目の前に残っているたった1枚ばかりに意識を集中させられ続けているのだ。
それは無意識としか言いようが無く、典香の努力や、意識した力ではコントロールする事が難しい。
例えば新しく他の付箋を貼ろうにも、すぐに奥の方へ追いやられてしまう。まるで4次元のような空間で、たった1つを残したその他が、典香の視野に届かないブラックホールへゆらゆらと吸い込まれていくのだ。
おかげで、朝から晩まで頭の中はその1つのことに集中してしまっていた。何をするにも気になってしまい、ぼんやりとしている。全ての事に身が入らないというのに、頭だけはフル回転しているようで気が休まらない。
会議室前で足を止める。
扉を挟んだ内側からは、会議中の緊張とは程遠く、リラックスした空気の中、談笑する声が聞こえる。それも、典香が扉を開けるまでのひと時のことだ。
この空気を壊してしまうことを申し訳なく感じながら、深い呼吸を繰り返す。心なしか背中に緊張が走り、武者震いする。
付箋は、剥がすことも考えた。ベリベリに破いてガソリンに浸し、燃やしてしまうことなんて、何百回と繰り返した。或いは、鍵付きの箱に入れ、箪笥の奥底に仕舞い込み、もう二度と、目の前に表れないようにする事も幾度となく試みている。
それなのに数分後には、そこにあるのが当然だと言わんばかりに、ペタリと目の前に貼り直されているのだ。きっと、同一の付箋ではないに違いない。
次から次へと生み出されるそれには、対処しようがないことに気が付き、それ以降無駄な足掻きだと諦めた。
扉をノックした後ノブに手をかけ引き開けると、案の定静まり変えるメンバーの様子を横目に席へ着く。
「それでは、会議を始めます。」
典香の声は迷いなく、一室に凛と響き渡った。
仕組まれたような思考の中で、典香は、悲しい色に染まった付箋と向かい合っている。