目に見えないものに畏敬の念を持ち、大切にする/赤尾由美さん

2023年2月5日

 


文責:赤尾由美

街頭演説では不特定多数の人にお話するのが前提なので、控えていますが、会場でのタウンミーティングでは最初に聞くことがあります。
肉体が滅んでも魂は続くと思う人、手を挙げて〜
すると、さすが参政党の皆さん。8割の方が手を挙げてくださいます。ちなみに弊社社員に同じことを聞いても2〜3割しか手が挙がりません(苦笑)。
年末の愛知ではさらに一歩踏み込んで、「今日、死んでもいいと思う人」と聞いたら、1割程の強者が手を挙げてくださいました。不意を突かれて聞かれても、急には答えがでない質問ですが、手を挙げてくださった人たちは、それぞれの死生観が腹落ちしているのだと思います。
ちなみに私も「今日死んでもいい」と思いながら、毎日暮らしています。なぜなら、20代の頃から精神世界の本を読んだり、友人知人から話を聞いたりして、一つの仮説に辿りついたからです。それが「肉体が滅んでも、魂は続く」です。
もし、そうだとしたら、死とは魂が肉体から離れ、違う場所へ移動する現象で、「私」という意識はそのまま続くのです。それが良いのか悪いのか、わかりませんが、私たちは死ぬに死ねないのです。「私という意識」はどれだけ続くかわからない長い旅をしているのです。 
つまり、今生は一つの観光スポットで、その観光にふさわしいレンタカーが肉体といえるのではないでしょうか。レンタカーは長く乗れば経年劣化しますが、それでもなるべく上手に乗って、キレイにお返ししたいものです。
そして、予定していた旅が終わるときに、その振り返りをするそうです。予定していた観光ができたのか、そして、旅を思う存分楽しめたのか・・・。多くの人はそこで、やり残したことを後悔するそうです。

旅の予定がいつまでなのかは、すっかり忘れている私たちですが、やろうと思ったことは全てやった方がいいですね。ちなみに私は小さなことから大きなことまで、やろうと思ったことはほとんどやってきたつもりです。たとえば、「○○に行こう」とか、「○○に会おう」とか、「会社を私がいなくても回るようにしよう」とか…。
なので、あとはケセラセラです。「どうでもいい」ではなく、「なるようになる」です!だからこそ、いつ訪れるかわからない死も、「いつでもOKよ」と受け入れているのです。


このように、人生にとって本質的なことを話すと、「スピリチュアル系」といわれて、バカにされることがあります。その言葉も、いわゆる「陰謀論」などと同じように、レッテル張りのお作法なのでしょう。ときどき「赤尾さんは、あまりスピリチュアル的ことは言わない方がいい」と忠告されることもありますが、死生観が腹落ちしていない人を見ると、ついお節介にも色々言いたくなるのです。そもそも、「スピリチュアル系」ではなく、「死生観」であり、「霊性」の話です
もともと日本人は縄文から江戸時代まで、目に見えないものを大切にしてきました。それを明治維新と占領政策を経て、唯物論に塗り替えられたのです。それが、日本人弱体化の肝になるからでしょう。日本を取り戻したいと思うなら、目に見えないものに畏敬の念を持って、大切にしていきましょう!