生きる目的と生き甲斐を履き違えてはいけない/吉野先生

2023年1月22日

 

文責:吉野敏明

 

あなたの今回の人生使命とは何なのか。あなたは何のために生まれ、この世に何を貢献するために生まれたのか。

 

治療が上手なだけの医者は本当に医者と言えるのでしょうか。野球が上手なだけの野球選手、サッカーが上手なだけのサッカー選手、レスリングが強いだけのレスリング選手、ボクシングで世界チャンピオンを獲っただけのボクシング選手。確かに彼ら彼女らの業績は素晴らしいです。優勝する瞬間や金メダルを獲った瞬間などは人々を感動させ、涙を流させます。しかし、逆に言えばたったそれだけです。感動の瞬間はサポーターやTV視聴者も共有できますが、その時間は極めて限られたものです。しかも、1年後には忘れられているかもしれませんし、10年20年後であればなおさらです。加えて、医師免許や金メダルやチャンピオンベルトさえあれば、一生成功する、食べられるという保証などどこにもありません。

数年前、関西で医師がポルシェで暴走運転して事故を起こし、トラック運転手が死亡するという痛ましい事件がありました。この医師は、地元では有名な名家の出身で、しかも医師というエリートです。途中までは順風満帆だったのでしょうが、医者となって何をするか、その先の自分は世の中に何を貢献するために生まれてきたのかを何も考えないで生きていたのは明白です。

 

プロスポーツ選手でも、日本を代表する右バッターがタトゥーをしまくったあげくに覚醒剤で逮捕される、マラソン元日本代表が万引きをした、元ボクシング世界王者が暴行して逮捕された、サッカー選手が淫行した、古くは甲子園球児で横浜ホエールズのピッチャーがシーズン中にベンツから性器を幼児に見せて逮捕されるなど、枚挙に暇がありません。

一生フィギュアスケートをできる人などいません。「あの人は80歳だけど、今度のオリンピックに出る現役のフィギュアスケートの女子選手だよ」などということは、現時点での運動科学ではあり得ません。

選手寿命の割と長いゴルフであったとしても、本当にその技術を発揮できるのは30代中盤ぐらいでしょう。高校生でアマチュアでツアー優勝した輝かしい成績の石川遼選手も、今とても苦しんでいます。

実はプロスポーツ以外も、全ての職業にこれが言えます。それこそ冒頭で述べたように、医者だってそうです。高級官僚だってそうです。

医師も職業寿命はあります。特に外科系の医師は、頭の良さに加え、それ以上に手先の器用さ・静止視力・動体視力・運動神経・反射神経・持久力・継続力・忍耐力などが強く要求されます。さらに経験も要求されます。これらの事が全て合致して、最も実力を発揮できるのは45歳ぐらいです。

 

では、そこからダメな医者になるかといえば、実はそうではないのです。ある考え方を身に着ければ、職業寿命はかなり延長できます。視力を補うマイクロスコープを使う、あるいは遠隔手術支援ロボットのダヴィンチを操作する。これらを行うためには、手術に参加する人数を増やすこと、手術を分業化することが必要になります。また、人が増えて分業化することになれば医師の統率力が必要となります。さらに、その統率力を発揮するためには、人徳や人望も必要です。高額機器を購入する購買力も必要ですし、その購買力を得るためには経済力も必要です。医師の才能以外に、これらを身に着けていけば、職業寿命、選手寿命は相当延長されるのです。

 

即ち、医者になりたい、プロ野球選手になりたい、金メダルを獲りたい、世界チャンピオンになりたい。これらは全て利己の欲です。しかも、利己の欲とは叶えた瞬間にその夢は終わります。

しかし、医療を通じて社会貢献したい、野球を通じて社会貢献したい、格闘技を通じて社会貢献したいとなれば、利他の欲です。利他の欲には継続性が要求されます。継続性のためには、自分以外の誰かに助けてもらわなければ継続できません。その人の代わりに働いてくれたり、広報してくれたり、資金調達してくれたり、という現役の世界チャンピオンの時には自分だけにあったものを分配する器の大きさが必要だからです。

 

私が述べた「医療を通じて社会貢献したい、野球を通じて社会貢献したい、格闘技を通じて社会貢献したい」のように、最終的には医者であれ、スポーツ選手であれ、サラリーマンであれ、役人であれ、政治家であれ、社会貢献しなければこの世に不要な人材です。

つまり、どんな職業であれ、年齢を重ねるほど「社会貢献する」という欲がなければ、結局その人の人生は、その業界でどんな高い山・地位に立っていたとしても、前述の例のように没落して人生は終わるのです。それが社会貢献するために「あなたは何をするのか?」の答えが、冒頭で述べた「あなたの今回の人生使命とは何か?」を明確にすることなのです。

 

野球で言うのであれば、三冠王や最多勝利を獲得していなくても、人望で選手会長やプレイングマネージャーのような要素がなければ野球人としては長く仕事はできません。だから、プロ野球が強いだけ、上手いだけのプロ野球選手ではダメだと冒頭で言ったのです。

年とともに落ちる運動能力に合わせて、社会貢献力を上げ、徐々にコーチやプレイングマネージャー、監督になれば、後輩を育成しながら野球もできます。さらに、ゼネラルマネージャー、つまり球団代表や球団社長というトップ経営者になる、という決意を念頭においてプロ野球界にいれば、王貞治氏のように70歳になっても80歳になっても、野球界にいながら社会貢献をすることが可能です。

 

実は、このような「この世に対する社会貢献」を念頭におかなければ、我々人間が生存できないのは、ごく最近のことなのです。寿命が短い時は、利己の欲だけでも生きていくことができました。それは寿命が短かったからです。

1945年の男性の平均寿命は戦争の影響もあり49歳、女性は50歳でした。当時でも定年は50歳でしたから、定年前に死ぬ人も多かったのです。そして女性は閉経前に死ぬ人も沢山いました。

 

かつて、ある閣僚が「女性は子供を産む機械」と失言して大問題になりましたが、戦前は、男は働いて金を作る機械、女は子供を産む機械だったのは事実でした。野球でいえば、プロ野球選手はプロ野球選手をする機械、医者は患者を治す機械だったのです。

それだけを生きがいやりがいにして、人生を終えることができました。しかし、今は人生100年時代。プロ野球選手を終えた後の第二の人生どころか、第三、第四、第五まで想定していなければ、人として生存できません。この第四、第五の人生を生きることの目的が「その人は何のために生まれてきたか」ということなのです。

 

野球人の人生としてはそこそこであったとしても、監督になって成功した人は沢山います。藤田元司監督や星野仙一監督は200勝していませんが、名監督です。しかし、その後、監督として自分でなくても選手が不祥事を起こしてしまえば、第三の人生で失敗したことになります。監督はそこそこで日本で総合優勝こそしなかったとしても、オリンピックやワールドカップの監督として活躍すれば、第四の人生は上手くいったことになります。サッカーやバレーボール、ラグビーの監督などはこのような方が多いですよね。あるいはオリンピックで監督になり、優勝しても、その後不祥事があれば その人の人生は終わってしまいます。WBCやワールドカップで優勝できずとも、球団代表や球団社長という経営者になり、経営者として売り上げを上げて成功すればもっと社会貢献できます。

 

このように、老化現象によって、気力・知力・体力・持久力などその人個人の全ての能力が老化で衰えたとしても、ずっと進化進歩し続けるところがひとつだけあります。そして、その唯一死ぬまで、あるいは死ぬ瞬間までも進化する能力を鍛えることができるもの、それが心なのです

心だけは死ぬ直前どころか死ぬ時まで進歩することができます。これを証明したのが釈迦の入滅です。すなわち、鍛えるべきところは心であって、最終的には知能や体力など何も必要がないのです。

松下幸之助氏は「私は学歴がなく、体力もなく、金もなかったから成功した。学歴がないから、どうしたら頭の良い人が代わりに仕事をしてくれるか考えた。体力がないからどうしたら私の代わりに働いてくれるかを考えた。金がないからいくら儲けても不安なので、会社がずっと儲け続ける仕組みを考えた」と言っています。

他人に全てやってもらうためには、揺るぎない「社会貢献したい!!」という頑強な哲学に基づく道徳観・倫理観が必要です。これを帝王学と言います。帝王学の頂点に立つのが天皇陛下です。

 

人生100年時代。どんなに若い時に一世風靡をしていても、何も考えないで20代30代(※40代50代かな?)を迎えれば、老後は自分が誰かも分からない状態でお荷物扱いされながら、この世を去ることになります。しかし、あなたが「何のためにこの世に生まれたか」を明確に自分の言葉で返答できるのであれば、健康で長生きし、人々から尊敬され、社会から必要とされるので、例え家族が全員死んでしまったとしても、幸せに人生を全うできます。

 

これが、税の問題、家族の問題、医療の問題、介護の問題、福祉の問題、寝たきりの問題、臓器移植の問題、安楽死の問題を全て解決できる唯一の処方箋なのです。

今回、我々が生まれてきた理由、絶対に死ぬことが分かっているのに生まれてきた理由は、全て心の成長をすること=大和魂を未来に繋げることなのです

生きがいと生きる目的を同じにしてはならないのです!!