弁慶の勧進帳から学ぶ/日本に於ける忠義とは何か?

2021年10月2日

 

テーマ:日本に於ける忠義とは何か?


■武蔵坊弁慶とは
平安時代末期の僧衆(僧兵)。源義経の郎党。
元は比叡山の僧で武術を好み、五条の大橋で義経と出会って以来、郎党として彼に最後まで仕えたとされる。
※弁慶


■義経記
源義経とその主従を中心に書いた、作者不詳の軍記物語。
南北朝時代から室町時代初期に成立したと考えられている。能や歌舞伎、人形浄瑠璃など、後世の多くの文学作品に影響を与え、今日の義経やその周辺の人物のイメージの多くは、「義経記」に準拠している。

■源義経を有名にしたのが、江戸時代の歌舞伎(市川一座)
歌舞伎の定番中の定番 「弁慶の勧進帳」


動画の目次
① 弁慶の勧進帳という物語
② 豪胆な富樫泰家という人物
③ 古来より我が国に於ける忠義の精神

 

【動画】

学校では学べない源義経と武蔵坊弁慶の逸話〜弁慶の勧進帳〜

 

【概要】
義経と弁慶らは、源頼朝が義経に差し向けた討伐の軍勢から逃れて、平泉に向かう途中、石川県(加賀)にある関所「安宅の関」で止められることとなる。源頼朝は、各関所に指示を出して、義経を見つけ出し捉えようとしていた。
「義経は変装しているはずなので、それを見破って、捉えて鎌倉まで連行して来い。」という命令を出していたのだ。
その関所の一つ、加賀の国の「安宅の関」に差し掛かった時、その関所の関守「富樫左衛門」によって、弁慶は尋問を受けることとなった。

弁慶は尋問に対し、自分は「東大寺修復の為の寄付を募る勧進をしている山伏」だと答える。
(勧進:仏教の僧侶が、衆庶の救済のための布教活動の一環として行う行為の一つで、勧化(かんげ)ともいう。)
(山伏:山中で修行をする修験道の行者。修験者とも言う。)
当時は、寺の修復のために勧進をして、寄付をして頂いた人は、巻物に名前を書いて、そのお寺の本殿の中にお納めすることになっていた。つまり、寄進をした人は、ずっと仏様に守って頂くことが出来るということ。

関守の富樫は、弁慶にいくつか質問する(山伏問答のシーン)
・勧進をしているのであれば、その勧進帳を今ここで読んでみせよ。
・山伏の心得とは何か?山伏の秘密の呪文を述べてみよ。等々
それに対して弁慶は、堂々と答えていく。(勧進帳はないが、たまたま持っていた白紙の巻物を取り出して、名前をすらすらと読み上げる)

富樫は、一つ一つの質問に対して堂々と答える弁慶の姿に心を打たれる。
しかし、一部の部下は気が付いてしまっている。そこで富樫はこう問う。
「そこの者、隣にいる小柄な者は、よもや義経殿ではなかろうか?」
弁慶は

「えーい、お前が愚図だから怪しまれるのだ。何としたことか。無事に通れると思ったのに、お前が愚図だからこのようなことになったのだ。えーい、ビシバシ、ビシバシ‥。」と、持っていた大きな金剛杖で義経を打ち据える。
本来ならば上司(主君)である義経を、部下(家来)の弁慶が打ち付けることは、全く有り得ないことである。
しかし、そこまでして主君である義経を守り通そうとする、弁慶の"エイッ、エイッ"と金剛杖を振っている姿に、富樫は心を動かされる。
なんと主君思いな男か?そして、なんと強い主従の絆か?これぞまさに武士の鑑ではないか?
そして思案した富樫は、関所の通過を許可する。
このことが意味するのは、義経を捉えたことによる莫大な恩賞が貰えないだけではなく、関守としての職務違反をしたことになる。


※富樫左衛門
 

この物語はフィクションではあるが、
富樫左衛門は実在の人物である。本名は富樫泰家という(富樫家6代当主。武将・御家人)
加賀の国の守護大名に出世。才覚があり豪胆であったと言われている。
「男の腹がちゃんとわかる人物だった。」と言われている。
そして、今日のポイントは、この物語の中に日本的な「忠義」の概念が入っているということ。

まず弁慶は、一時的には自分が悪者になるかもしれないが、しかし最終的には主君の命を救うことになるならば、それだけのこと(思いっきり杖で打ち据える)をする。
一方、富樫の行動は、義経主従の大変立派な態度に心打たれて、自分に与えられた任務(義経を見つけて捉えること)よりも、この義経主従の真剣な主従関係、この"人としての堂々とした態度"、それに心打たれて彼らの通行を許可した。
つまり、自分は鎌倉幕府という一つの大きな機関/組織の中の一つの駒として生きる道よりも、富樫左衛門・富樫泰家は、"男として、人として"生きる道を選んだ。
そういう富樫と弁慶であるからこそ、2人は最後に目と目で会話をする(信を交す)ことが出来たのだ。


ただ単に上から命令されたことを、実行するのではない。
富樫には、「俺は男だ」という意識がある。上が何と言おうが、俺は俺の価値観でやっていく。この強い意識があった。
命令を受けた時にその命令を自分なりの価値観で、最終的にそうすることが鎌倉幕府の為にもなり、また多くの人々にとっても素晴らしいものとして語り継がれていく、誰に恥じなくても俺は俺の祖先の前で堂々と、「俺は俺なりに立派なことをして来たんだ」と堂々と言ってのけることができる。

そういうことを判断し、選択をしていく。
ただ命令があるから実行しました。「殺せと言われたから、殺しました」ではない。そんなものは人間のクズだと・・・。それが日本の考え方である。
物事に対して、ただ命令されたからといって"反応する"だけだったら、それはパブロフの犬である。
こういうことを日本人は、古来、伝統的に非常に蔑んできた。
命令されて、ただ行うだけじゃない。そこにはやはり自分というものが存在している。自らの価値観できちんと判断して行動することが出来る。そういうことを、日本では大切にしてきた。


これは、中国における忠義(儒教における忠義の概念)とは違う。
中国の概念では、忠義は"とにかく上に言われた通りにする"。上の言うことを自分の心の真ん中に置く。それが大切だと説かれる。
これに対して日本の忠義は、「天下万民にとって正しいこと」をする。
「忠」とは、まめなる心と読む。「義」とは、理(ことわり)=正しいこと
忠=まめなる心とは、自分の持っている全部で尽くしていくこと。
正しいことの為に、自分の持っている全てを尽くしていく。これが、日本に於ける忠義の精神。
単に上の言うことをきくことだけではない。これが古来より常識化されていたし、歌舞伎などでも取り扱われていた所以である。
そして、この歌舞伎の演目を、日本人(民衆)はこよなく愛してきたのだ。

以上

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※ 私も恥ずかしながら、忠義の意味を少し誤解していました。今回、忠義の真の意味を理解できて、日本人としての心をまた一つ取り戻せたような気がしました。

会社員として生きることが主流となっている現代、この意味を理解することだ大事ですね!(^^)