知識/Knowledgeへの階梯 ステップ46/小さな者であることを受け入れる

2021年9月27日

 

あなたが大いなる者になるためには小さな者にならなければなりません。
 
大いなる者になるためには小さな者になければならないというのは、矛盾しているでしょうか? その意味を理解していれば矛盾してはいないのです。自分の限界を認識することで、限られた状況の中で非常にうまく事を運ぶことができるようになるのです。

このことは、あなたが以前に気づいていたよりも大きな現実を示しているのです。あなたの偉大さは、単に希望や大きな期待に基づくものであってはならないのです。理想主義ではなく、ありのままの真の経験に基づいていなければならないのです。あなたが小さな者であることを受け入れてください。そうすれば、あなたは偉大さがあなたと共にあり、それがあなたの一部であることを経験するでしょう。
本日の2回の練習では、あなたが限定された状態にあることを受け入れるようにしてみましょう。あなたの判断を差し挟むことなく、これを実行してください。あなた自身に有罪宣告をする必要はないのです。積極的に自分の限界に意識を向けてください。あなた自身を非難することなくこの作業に集中してください。客観的に見てください。あなたは大いなる現実が、この世界で自分自身を表現するための乗り物なのです。この表現のためのあなたという乗り物は、非常に限定されたものではあります。しかし、あなたが達成すべきミッションを達成するためには、十分なものなのです。その限界を受け入れることで、そのメカニズムを理解し、建設的に対処することができるようになるのです。そうすれば、それはもはや制限ではなく、あなたにとって喜びに満ちた表現の一形態となるのです。
 
練習46:15分間の練習を2回。
 
翻訳:spiritual-light

【解説】
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」
日本聖書協会 「新共同訳聖書 マタイによる福音書第5章第3節」
 
これは有名なイエス・キリストによる「山上の垂訓」の一節です。イエスは心の貧しい者、まだまだ自身の心に足りないところがあることを認めている謙虚な人には、その心に天の恵みを受け入れる余地があるのだから、そのことを喜びなさいとおっしゃっているのです。
 
まさにこの一言が、今回のエクササイズの真髄を語っています。

次の2曲を聴いてみてください。全部効く必要はありません。最初の数分だけ聴いて、その印象の違いを味わってみてください。

 

【動画】

【動画】



前者には余裕のなさを感じます。笛一本のみで全てを表現しようとしている。ですから、演奏者が辛そうな印象を受けてしまいます。孤独な作業です。
後者には余裕を感じます。笛一本で表現できる限界を受け入れて演奏している。そして、無の空間との共同作業により曲を表現している。この曲は、一なる無限の創造主とのコラボレーションが成立しているのです。この奏者は孤独ではありません。
 
私たちが自身の限界を受け入れた時、私たちが知識/Knowledgeを、根本神/ソースからの助力を受け入れる余地ができるのです。
この余地を作ることがとても重要なのです。
 
日本の著名な画家、長谷川等伯も、屏風絵の限界を受け入れた中で、屏風絵の限界を超えた無限の表現を獲得して、その名を後世に残しました。

この「国宝 松林図」は、あえて余白を残すことにより、見る者に霧の向こうにある無限の空間の広がりを見せることに成功しています。
 

この「国宝 楓図」は、あえて楓の幹の下部のみを描くことによって、見る者に屏風の上方に広がる無限の高さを見せることに成功しています。
 
皆さんも自分の限界を見切って、それを受け入れることによって、自身の無限の可能性への余地を作り出してみてください。

 

ソース:https://www.newmessage.org/wp-content/uploads/pdfs/books/STK_NKL_v1.5.pdf

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