ファーストアセンショナーへの道/仏弟子の方法論その15 「私」を失い恐怖の本質に気づく
2021年4月24日

【はじめに】
イシュター・アンタレス著「意識の量子飛躍11:11アンタリオン転換」によると、イベント後にまずアセンションのファーストウェーブが起きるとされます。このアセンションのファーストウェーブを起こすには、アセンションへの準備が整っている1,000〜2,000人のボランティアが必要とされます。
当然、自らの内に大量のネガティブエネルギーを抱えている状況では、波動が重過ぎ、ファーストアセンションは困難です。自らの内のネガティブエネルギーを一掃し、光の存在としての準備が整っている必要があります。
ブッダは、自らの内のネガティブエネルギー(煩悩)を一掃して、悟りを得た存在(アセンデッドマスター)に至る方法を見出し、アセンデッドマスターとなりました。そして、悟りに至る道を体系化して、その方法論を仏弟子たちに伝えました。
本連載では、ファーストアセンショナーを目指す皆さんに、ミャンマーの仏弟子ウ・ジョーティカ氏が記述した悟りに至る方法を紹介し、皆さんの内のネガティブエネルギーを一掃するお手伝いをしたいと思います。

 

【第15回のテーマ】

「私」を失い恐怖の本質に気づくです。以下に、ウ・ジョーティカ氏の文章を引用します。
 
瞑想する時には、年とは何か、
日とは何か、日と時間とは何かを、
私たちは忘れてしまいます。また時々は、
自分がどこにいるかも忘れます。
そうしたことを、もはや認識しないのです。
それら全ては、単なる概念なのですから。
通常の現実の枠を越えた際には、自分が誰かということが、もはや意味をもたなくなることがあるのです。
「私」というのは、観念です。そうした全てのものもまた、あなたは見失うのです。
そうした状態に入っていく際、あなたは何度も何度も戻ってきてしまいます。その状態を、とても恐れているからです。私は、自分が何者か知っていなければならない。周りで何が起きているか知っていなければならない。そうでなければ無防備すぎるから。自分が安全であると感じるために、私たちは周りで何が起こっているかを知ろうとしたり、身体に何が起こっているのか知ろうとしたり、身体あるいは自己に意識的であろうとしたりします。
これはパンニャッティです。
これは、防衛反応なのです。
長いこと緊張し続けていると、私たちは自分自身にしがみつくことに慣れてしまいます。これは、心配が多く、不安な人により多く起こることです。
(ウ・ジョーティカ著、魚川祐司訳「自由への旅「マインドフル瞑想」実践講義」の93〜95ページより抜粋して引用)
 
ブッダの瞑想を実行していると、やがて自己意識が消える時が必ず訪れます。この時、全く怖いとは思わない人もいるのですが、ほとんどの人が恐怖を感じるようです。ウ・ジョーティカさんは、その時の恐怖がいかなるものかを上記文章で簡潔に語っています。
簡単にまとめると、人間には「自分が安全だと確認するため」に「自己意識」があり、この「自己意識」が消えようとする時に恐怖を感じ、これに抵抗するということです。
 
人間は、この「自己意識」を永遠に維持することにとても強い執着を抱いていて、これがなくなることがとても怖いのです。これが「自己保存能」、「死に対する恐怖」の正体です。
 
更に、この恐怖の根源をグノーシス文書に見ることができます。まず、簡単に、恐怖の由来をグノーシス文書でどう書かれているか紹介したいと思います。
そこでは、把握されざる根本(Cobraの言うソースだとお考えください)から男性性により女性性が流出し、その女性性が、男性性の許可なく自分自身の力のみで流出を行おうとしたことが記されています。そうすると、女性性はどんどん内側へと収縮し始めます。それに男性性が気がついて、女性性に枠を形成してなんとか女性性の崩壊を食い止めたとあります。そして、このような過ちを犯した女性性から男性性が流出しました。これが、第一のアルコンと呼ばれる邪神ヤルダバオトの誕生の物語です。


エネルギー的な解説をしてみます。
男性性は基本的に“斥力”です。内から外へ流出する力です。女性性は基本的に“引力”です。外から内に向かう力です。男性性が先にactionして、女性性がそれに呼応してreactionするならば、斥力がある程度流出してから引力が働くので、この二つの力の合力は組織力になります。流出した複数の斥力が引力で引き合って、組み合わされるのですね。
日本の古事記ではこの現象は、角杙神(つぬぐいのかみ)、活杙神(いくぐいのかみ)と表記されています。また、日本古来の伝統では「めくみ」=「芽組み」と表記し、これは現代語では「愛」と表記されます。流出した男性的「差異」を、引力で組み合わせて組織として「統合」する行為が、「愛」なんです。
 
それで、ソースから男性性によって流出した女性性が勝手に流出しようとしたらどうなるかというと、斥力、推進力がないまま引力が働くので、内へ内へと自己崩壊しだすのです。いわゆるブラックホール状態です。それを、男性性がなんとか「枠」を作って、つまり、物質的体としての肉体、内外の境界を作って女性性の自己崩壊を食い止めたのです。
こうした中でなんとか自己崩壊が止まった女性性ですが、依然として内向きの力は衰えません。ですから、枠内では常にこの自己崩壊が起こる可能性が残っています。そこに恐怖の本質、起源があるのです。消えたくないという意志があるのです。このように、枠内で内へ内へと向かい自己崩壊しようとする実体が存在していると、枠内に欠乏状態、真空状態が発生しようとします。そのような空虚感が、外から何かを取り込んで内部を充足しようとするエネルギーを生み出すのです。これが、地球上の生物の栄養摂取行為の起源です。この誤用された女性性からのちに生み出される存在は、外部からエネルギーを奪って自己充足しようとする存在なのです。
 
それで、圧縮され自己崩壊しようとする女性性から押し出されてきた男性性(推進力、斥力)の最初のものが、第一のアルコンたるヤルダバオトで、そこから産出された各種存在がアルコンたちなのです。崩壊しつつある女性性から放たれた男性性なので、そこに内在する女性性も母に似て奪う方向に働きます。原初の女性性のような、繋ぎ合わせる働きはしません。

ヤルダバオトとアルコンたちは繋ぎ合わせる能力=思い遣り、協力を持ち合わせない、他者がどうなろうと一切構わず、他者から奪う存在なのです。
 
このようなアルコンたちが生命を創造したのが、この地球なのです。ですから、地球の生物は、常に内部崩壊の危機意識と欠乏感を抱え、それを充足するために外部から奪うという本能を有しているのです。
 
本来のソースの意志とは真逆の現象が、地球上の生物では起こっているのですね。
本来のソースと繋がっている光/智慧の存在は、内部は非常に充足しており、自然と流出しようとします。自然と流出した男性性に内包する女性性は、他の流出エネルギーと本能的に「芽組む」のです。「愛」を基本として活動するのです。
 
この地球上の生物のエネルギーの流れ、吸引モードを「浜風」とすると、これを本来のソースが体現している贈与モード「山風」にするには、一旦、「凪」が起こらなければならないのです。この「凪」こそ、ブッダの瞑想でやがて訪れる「私の滅」なのです。
 
瞑想が進んで「凪」が近づいてくると、今まで気づかなかった「恐怖」の本質が直に体験できるようになります。そして「凪」が訪れた瞬間に、「恐怖」そのものを完全に理解するのです。そうすると、「恐怖」の消失を経験します。そして、「恐怖」が消える経験をした存在は、贈与モードをいとも簡単に実現できるようになるのです。
安心してください。贈与モードになっても、「私」は無くなりはしません。

「ソース」から有り余るほどエネルギーが入ってきます。だって、あなたは「ソース」と同じ贈与モードになったのですから、「ソース」と同じなんですから、どうして「ソース」から有り余るほど与えられないことがありましょうか?

by spiritual-lightさん

ファーストアセンショナーへの道 仏弟子の方法論その15 「私」を失い恐怖の本質に気づく

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※ 今回のお話で、アルコンについて理解することができました。

※ 私が知っている古事記のお話は、イザナキとイザナミが国造り(子産み)をする時に、先にイザナミ(女性性)から声をかけます。しかし、それは失敗作となります。

次に、イザナキ(男性性)が先に声をかけて国造りをすると、成功しました。よって、男性性が先にやるのが良い、ということだったと思います。