ファーストアセンショナーへの道/仏弟子の方法論その9 健全と不健全の違いを感じてみる
2021年4月18日

【はじめに】
イシュター・アンタレス著「意識の量子飛躍11:11アンタリオン転換」によると、イベント後にまずアセンションのファーストウェーブが起きるとされます。このアセンションのファーストウェーブを起こすには、アセンションへの準備が整っている1,000〜2,000人のボランティアが必要とされます。
当然、自らの内に大量のネガティブエネルギーを抱えている状況では、波動が重過ぎ、ファーストアセンションは困難です。自らの内のネガティブエネルギーを一掃し、光の存在としての準備が整っている必要があります。
ブッダは、自らの内のネガティブエネルギー(煩悩)を一掃して、悟りを得た存在(アセンデッドマスター)に至る方法を見出し、アセンデッドマスターとなりました。そして、悟りに至る道を体系化して、その方法論を仏弟子たちに伝えました。
本連載では、ファーストアセンショナーを目指す皆さんに、ミャンマーの仏弟子ウ・ジョーティカ氏が記述した悟りに至る方法を紹介し、皆さんの内のネガティブエネルギーを一掃するお手伝いをしたいと思います。

 

【第九回のテーマ】

瞑想の健全と不健全の違いを感じてみるです。以下に、ウ・ジョーティカ氏の文章を引用します。
 
あなたは座って瞑想する。心はとても静かで安らかになります。悪いことを想像すれば、それは心に悪い仕方で影響を及ぼしますし、よいことを想像すれば、それは心によい仕方で影響を及ぼします。
思考は常に去来しているものですから、私たちは何も考えないようにすることはできません。しかしながら、心を健全な思考の方へと向けかえることであれば、選択できることが時々あります。一日を通じて、可能な限りそうするように努めてください。そうすることに慣れてくると、あなたの心は健全な状態に留まることがどんどん増えて、すると不健全な思考が心に入って来るたびに、あなたは自分の心が落ち着かず、不安で、乱れ疲れていることに気づきます。

その違いを、自分で感じるのです。
(ウ・ジョーティカ著、魚川祐司訳「自由への旅「マインドフル瞑想」実践講義」の64〜65ページより抜粋して引用)
 
心の動きを観察しながら何かをしてみる、何かを思ってみるという体験をすると、色々な発見があるんですね。
やっぱり、不健全なことをしている時の自分の心は、確かに嫌な感じがしているんです。他人のアラ探しばりしている時とか、ズルしてる時とか、怠けて楽してる時とか。こういう時って、なんか快感を感じているように思えますが、よくよく心の奥底を観察してみると実はそうではないことに割と気づくものです。そこには、満たされない思いをごまかしている偽物の快感しかないんです。だから、本当に満たされるということは絶対にないのです。
他人に良いことをしている時、奉仕している時にも、心を観察しているといろいろと気づきます。これは、自分に十分満足していて、自分の殻が薄くなっている人は、こういうことをしている時には本当に幸せを感じているんですね。でも、自分に満足していない人は、実はこういう行為をしていくにつれて、どんどんと自分の中に不満、怒り、憎しみを溜め込んでいるんですね。


いつかそれが爆発するんです。やたらと他人の不品行を激しく非難する人って、こういうタイプなんです。自分にまだ満足していないんですね。また、よく凶悪犯罪を犯した人の近所に住んでいる人へのインタビューって、ニュースでよくやるじゃないですか。で、よく「あんないい人がこんなことするなんて信じられません。」って言うのを聞きますよね。これは、自分への満足感を与えずに、善人であろうとした人の悲劇そのものなんです。
ですから、実際に心の動きを見ながら本当に自分に達成感、満足感を与える、自分にとっての本当の健全な生活というのを実現していくことは、とても大事なことなんです。どんな人だって、最初は自己満足しないことには他者への愛、奉仕へは向かえないんです。自己満足さえしてしまえば、他者への奉仕がさらなる自己満足を生むこともわかってきます。


よく滅私奉公っていいますけど、これは相当高い境地なんです。

これの本当の意味がわかるのは、まだまだ先の話です。それなのに、この滅私奉公ごっこをやってしまうと、それは滅私奉公じゃなくて、殺私奉公になっちゃうんですね。
滅私と殺私は全然違うんです。殺私が行き着くところは他殺なんです。犯罪者への道まっしぐらです。ですから、しばらくの間は、他人にわがままだと言われようが自己充実に励んでください。一時的に社会から白い目で見られますけど、それは仕方がないんです。まだ自分はそういう段階なんですから。そうして、ある段階に来たら、他人への奉仕がしたくてたまらなくなる時が来ます。その時始めて、滅私奉公への道が開くのです。本当の滅私奉公はまだ先ですけどね。
 
人生に飛び級はないんですね。全てが一歩一歩、段階を踏んでいかないといけないのです。だから、たくさんたくさん転生しないといけないのでしょう。


まずは自己満足で、自分というコップを一杯にしましょう!

そして、満杯になって水が溢れ出してから、他人にも水を与えればいいんです。満杯にならないうちに他人に与えちゃったら、人生のうるおい不足で死んじゃいます。
 

by spiritual-lightさん

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